アンチイノセント


ヒュプノス @ 聖闘士星矢
Published 2022/10/27

 「待って。話せば分かる。待って、ヒュプノス」
「何を話すのだ?」
「と、とりあえず説明が欲しい、デス」

 ティーカップを置いた直後のことだった。
 タナトスに喚び出されはするものの、彼がいざその気になるまでは完全にランダムなことが多い。二人だけの談笑に興じたことは無きに等しく、エリシオンでの話し相手を務めるのは専ら眠りの神であった。
 この日もいつものように談笑していた。つい先程までは。

「説明、とは」
「本気で言ってる?」

 いつも通りであれば、なんら疑問はない。だがいつもと違うからは狼狽えている。双子神の人間への興味は二極化していて、ヒュプノスはどちらかといえば好意的なほうなのだ、これでも。だから人間にある機微を判っている、とは思っていた――実際はそうでもなかったらしい。

「いつもと違うから不思議に思うのは普通じゃない?」
「…………なるほど」

 理解を示したフリをしている、とは解ってしまって笑う。彼は神を辞められない。何かを望むなら、それを下位の者に望むのなら、いくら自分勝手に動いてもこれまで何ら問題なかったのだろう。

「おもちゃをご所望ですか。ヒュプノスさま」
「そうだ」

 からの揶揄に何ら損ねることなく、彼女の言葉を是として覆いかぶさる。下手な否定は意味をなさない。彼女の言うとおりなのだ、とヒュプノスは肯いた。

 いとも簡単に組敷かれるは平静を装っているようでいて、目が泳いでいる。それでも名前を呼べば、自身の仕事の一つだと理解しているからか、覚悟を決めるのは早い。
 ゆるりと顔を近づける程に彼女のまぶたは落ちていく。

 ふ、と引き結ばれた唇へ息を吹きかけると、分かりやすく彼女の体がビクリと反応した。目を瞑っているからこその過剰な反応とはいえ、悪くはない。

 今はまだ兄神が煩かろうと触れるだけの簡単な口付けにとどめはするものの、恋人たちの戯れのようなそれでの羞恥心を掻き立てる。
 むず痒さがあるのか、もぞもぞと彼女は落ち着かない。
 まるで初めて経験するかのように熟れたトマトなみに赤くなるのを見て、ヒュプノスは彼女という人間に疑問を抱くばかりだ。

「どうした?」

 体の硬直と体温の上昇が何を物語るのか、分からないヒュプノスではないが敢えて訊ねる。
 おそるおそる片側の目を器用に開くは案の定「はずかしい」とだけ言い捨てて、またきつく目を閉じる。

「では少し変えてやろう」
「いい、いい! フランクなのでおねがっ、んんん!?」

 対処を間違えた、と慌ててももう遅い。明確に伝えなければいけなかったのだ。自分の気持ちなどではなく、どうしてほしいのかを。そしてそれは別の解釈として決して捉えられてはならない。でなければ、解釈違いが不幸を呼ぶのだ。

「ヒュプノス! ちょっとま……っんむ」

 折を見て彼は「本当に嫌だと思うことはしない」とよく口にする。その言葉を信じるならたしかに彼は紳士なのだろう。だがその実、彼の言葉は切れ目のない文として成り立って初めて効力を発するのだ。
 拒絶の言葉を口にしようにも、するりと隙をついて滑りこむ舌が絡んで阻む。体を押しどけようとしても、もとより彼にはその言葉を言わせるつもりなどない――だからビクともしない。しかしこれでもヒュプノスの戯れなのだ。と、は理解と同時に諦めて体の力を抜く。ちゅうと音をわざと立てて、自身の口内で好き勝手するそれを吸った。

「物分かりが良いな」

 ヒュプノスは少し満足しているのか、穏やかな声音で言う。

「しれっと悪いことしといてよく言うよ」

 彼の言葉は見てくれのそれで、結局はヒュプノスの気分に左右されてしまう。無駄な抵抗をずっと続けられるほどの気力はない。なら、応えて早々に解放してもらうのが最善なのだ、とはヒュプノスの顔を引き寄せて自ずから唇を合わせるのだった。


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