甘美なる誘惑


五条悟@ 呪術廻戦
Published 2024/02/20

 ベンチの背もたれにどかりと体を預けて、は大きく一息つく。普段通りに過ごしていて、体力も寝るまでにまだ残っている。そう思っているのに、一度ベンチに座り込んでしまうと、頭よりも正直な体がそうした反応をしてしまった。
 スーツのポケットに無造作に手を突っ込んでスマホを手にする。時間は5時を少し過ぎたばかりらしい。夕飯にしては早い。どうしたものか、とはオレンジ掛かった夕闇を見上げてこのあとのスケジュールに悩んだ。

「あ、ここにいた」
「ひえ! 悟くん!?」

 ぴた、とこの肌寒い空の下で頬に当てられた冷た〜い飲料缶の感触は心臓に悪い。思わず立ち上がるほど、体はそれから逃れてしまう。が、下手人の顔をみとめるやは眉根を潜めた。

「はいお土産」
「あっ、りがと……」

 ずいと目の前に冬っぽいデザインの小振りな紙袋を突き出される。受け取るよりも先に手を離すものだから、条件反射のように両手でキャッチする他ない。ガサガサと音を立てながら中身を見るなら、なるほど彼の好みの土産しかない。

「チョコレート?」
「そ」
「わぁ、限定のやつ!」
「何年婚約者してると思ってんのー?」

 隣に当たり前に座り、長い脚を見せびらかすように組む五条悟は間違いなくの婚約者である。
 五条は呪術界で最強と称されるが、対するはといえば二級術師である。家柄も術師の能力で優劣をつけるなら平凡の域を出ない。それでも彼女が婚約者とされたのは、五条家の分家だからだ。
 そしてその話を持ち込んできたのは他ならぬ五条悟本人であった。

「何人いるの?」
「二人かな。仲良くしてるからね、僕たち」

 訊ねたのは五条家の出した二人を見守る人数……といえば聞こえは良いが監視員である。この二人、家の位が違うこともあって顔を合わせることはないに等しい。本家で行われる伝統的な、それも分家総員を呼び出すようなそれでしか機会はない。もちろんその機会すら数年おきだろう。なのに“悟”本人が話を持ちかけてきたのだから、接点を探すのは当たり前なのだ。ただ本家自体も一分家に過ぎないの家の仔細を知るはずもなく、彼に丸め込まれて今に至る。

「あ、人へのお土産に手をつけるとか」
「まぁまぁ。今回のオススメは〜」

 彼がお土産を欠かすことはない。そこには彼の趣味が多分に入るがにはどうでもいいことだ。

「これ、試食させてもらって美味しかったんだ」
「悟くんは甘けりゃいいじゃん。わたし、あんまり甘味耐性ないんだけど」

 パキンと音を立てて小判型のそれを五条は半分に噛み砕く。

「ポッキーゲームもどき、やろうよ」
「それはさすがにわざとらしくない?」
「俺が君に惚れてるとこ、見せなきゃ」
「……まぁ、五条家とウチだもんね」

 五条悟は地位が高い。呪術師の力量は呪力の強さによるところが大きい。
 ずば抜けている彼がどんなに自分本位に動いたとしても、強行を貫くなら下位の者はそうかと納得するしかない。もその下位の一人だが、彼が周りを翻弄するのを見るのが面白くてならない。彼女は五条悟の作った籠の中に収まりはしていたが彼の悪戯に付き合うのは嫌いではなかった。
 お家騒動というほどの争いに巻き込まれてこなかったが、半端な呪力と技術が普通を遠ざける。自分の当り前がマイノリティでしかなかったことが嫌で仕方がなかったこともあるが、中々どうして人間というのは慣れてしまうらしい。最初こそ婚約者という立場に伴う周囲からの好奇と侮蔑の雰囲気に嫌気がさしていたものの、そうした部分の相性が良かったようで悪くない関係を築けているのは確かだった。

って大胆だよね」
「いまさらキスで動じる年齢じゃないので。それに初めてじゃないでしょ。悟くんと」
「慣れってこわいね」
「よく言うよ」

 これは自分たちが楽になるための演技で、物語だ。
 は五条の手からすでに一口で食べてしまえる大きさになったチョコレートを唇に挟んでみせる。ポッキーゲーム特有の際どさを楽しむつもりは彼らにはもともとない。恥じらいも必要はなく、淡々と事実を見せればいい。
 口の中にひどい甘さが溶けてひろがる。大の甘党の選ぶお菓子なのだからと分かっていても、この甘さはいつもを戸惑わせる。止まない絡まりに息が上がっていく。伝えるように五条の服を掴んでも一向に止まないのは何時ものことだ。そしてようやく終わりをむかえたころには、奇しくも熱に浮かされていて、物語のための良い材料になっている。物語の世界に捉われないように、はいつも誘惑と戦っていた。


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