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波紋の行方ライナス/FEH 19.06.03
こりゃなんだ?と視界にキラリと何かが反射してライナスは足を止める。日が沈み始めた白簿であったからか、視力が悪くないはずのライナスはそれが何であるか分からなかった。他意のない興味に足を動かされ、そこにしゃがんでおやとなる。そして自身の耳に触れ、在るものの所在を確認した。自分のものはある。しかし目の前には自分のものと同じアクセサリー――イヤーカフスがあった。名前を彫るといった所有印をつけているわけではなければ、自分の物は確認出来た。とするならこれは兄のものなのだろう。
ライナスの大きな手にはあまりにも小さいそれを拾いあげ、コートのポケットに突っ込む。これから夕飯を食べに食堂へ向かうところで、そこで会えずとも帰る部屋が同じなこともあり、焦りはない。ただあの兄が落とし物とは、と珍しかった。
「ライナス」
さて行くか、と踵を返すと少し離れた先にある入り口にが立っていた。その場でキョロキョロしたかと思うと、いつもよりやや早足で近付いてくる。適当に距離を詰めて、初めて彼女の息が少し弾んでいたことに気付いた。
「俺に用でもあんのか?」
急を要するような事態ではないと思うが、戦争中なのだ。何か知らないところで動きがあるかもしれない。何せ彼女はこの軍の要となる召喚士の仕事を手伝っている。自分よりこの世界の情勢を知っているのだろう。しかしそれはやはり杞憂で、切迫感のある表情ではなかった。
「ライナス、ここにずっと居た?何か落ちてなかった?」
ただ少し焦った様子はあって、ライナスはこの鍛練施設にいた二時間の間を思い出してみる。ポケットの中のものは兄のであるから、除外すれば特には見当たらなかった。
「……手伝ってやってもいいぞ」
「ほんと?助かる!ライナスには伝えやすいからさ」
「あん?」
もう見つかると疑っていない素振りで、そういうところは可愛らしく見えるも、同時に無防備だ。思わず舌打ってしまったが、に気にした様子はみられなかった。そんなことよりも早く失くしたものを見つけたいという表れなのだろう。それ、と言って彼女はライナスを指差した。
「俺が探し物か?」
「耳」
「怖ぇこというなよ」
「違う。イヤーカフス」
「誰の」
「ロイドさんの」
「お前にやったっつー話は聞いてねぇぞ」
ライナスとロイドは揃いの物を幾つか身に付けている。イヤーカフスもそのうちの一つで、そう強い意味はない。長いコートは使いようによっては目眩ましになる。イヤーカフスも魔力がこもっているからこその代物で、職業と掛け離れた魔防の高さは母方の血とそれに因っているのだ。良いものがある、と、確かそれは任務に就くようになって父親に貰ったものだ。イヤーカフスに至っては母のものだったはずだ。物を粗末にすることがないことに加えて、自分よりも母親を鮮明に覚えている兄を思えば、誰かにそうした代物をやるというのは考えられなかった。
「あぁ、そういうことか」
「そういうこと」
この世界の人間は複雑だ。世界は一つという常識を簡単に覆していて、自分の知る人間が必ずしもその人間ではない――らしい。幸か不幸かといえば自分の知る人間は同一であるから幸運、とするならは反対となるのだろうか。
同情を抱いたことはない。
「なぁ。【それ】ってのはやっぱ貰ったのか?」
「勝手にね」
理解できない。ライナスは彼女の言葉の真意を即座に掴み取ることが出来ずにいる。陰る表情にすら、だ。
「“俺の”兄貴のじゃねぇのか?」
うん、と頷くを見てライナスはポケットの中に手を入れる。指先に触れるや掴みとってしまったのは、小さな存在を指先に転がすのが面倒くさいからだ。
「ならお前のなんだろ」
す、と差し出される両掌に彼女の失せ物を落とした。兄のもの、とは分かったが自分の兄は側に居るものだから、あの時のような喪失感をまた味わうのかと思えば薄情なもので、“自分”と“彼女”の差す人物が別人だということに他ならない。
「見つかって良かったな」
社交辞令でしかないその言葉にが笑む。おそらく彼女は深読みしていなくて、言葉通りに受け取っているのだろう。
「何でそれ付けてんのに弱ぇんだよ」
「魔力なんてものが存在しない世界出身だからでしょ。オーディンの魔力をちょっとばかし貰おうと思ったら全然体内に入ってこなかったわ」
気にした風もなく、は受け取ったイヤーカフスを耳に取り付ける。彼女の装飾品を初めて目に止めた。手合わせもすれば、夕飯を一緒にしたりそのまま飲んだりするにも関わらず、彼女の特徴はと訊かれるとぼやーっとしていて明確に答えることができない。
「まさか俺のも持ってんのか?」
兄が確かそう言っていた。自分と同じものをよく知らない女が持っているというのは心底気持ち悪く思ったが、今はそうでもない。別物と認識しているからかもしれない。
ライナスの問には“もちろん”と短く返事をして、髪に隠れた先程とは反対側の耳をトントンと指差す。
「見たい?」
「いい。“俺のは”ある」
「そうだね」
見せたかったのか、ただ会話の中に提案しただけなのか。相変わらず読めない。
「お前はさ、俺らの行く末を見てんだろ。そっちで」
「まぁ」
「俺らに思い入れがある割にはシレッとしてねぇか?」
「ニノだって強いけど?」
「ありゃジャファルがいるだろ」
ライナスがの話を聞くのに慣れたのは最近だ。全てが終わったあとは特に定住地を持たず、各地へ散らばった仲間に会いに行って暇を潰していたという。“仲間”というのに理解はできるが、その“仲間”で傷が塞がる程度の想いなのだろうか。少し疑問にもなる。兄への懐きかたもそうだが、自分達がとにかく大事にしていた母親の形見を身に付けるのを考えれば、浅い関係ではないのだろう。しかしそれでも、自分が兄の亡骸を前にしたときを思い返せばとてもではないが冷静にはなれない。彼女の世界の兄もそうだったというのだから尚のこと、理解に難い。所詮はただの居候の域を出なかったのか。
思わず、手を伸ばしていた。断ったものの、興味はある。探せば似たようなものは何処にでもあるはずだ。が身に付けているそれすら、本当は彼女が買ったフェイクかもしれない。疑ったところで何の得にもならないし、実際そうでなければ良いと思っている。直向きな感情を疑うのは、と躊躇うくらいには――。
「お前は一人じゃねえか」
「直球過ぎない?」
「他に何て言うんだよ?」
それを見るのはやめた。かといって手を元に戻すのは、手持ち無沙汰な様子は間抜けだ。頬でもつねるか、と到り、行動に起こすのは早い。
ふに、と思いの外柔らかい感触がした。妹に何気なく行っていた自分なりのスキンシップだ。
「ニノが妬くよ」
「どこにそんなのがあんだよ」
軽く横に引っ張れば、は眉根を寄せてライナスの手をとる。離して、との意思表示だが、彼の手はの頬から外れない。痛みはない。
「心配してくれてるんだ」
それは自惚れに近かったかもしれない。けれどもはそう確信して、そして口にせずにはいられない喜びがある。だから顔に出る。
「……お前、なぁ」
「あれ?違った?残念」
言葉とは真逆だ。いや、そのとおりであってもは構いはしない。嬉しさに代わりはないのだ。この平凡なやり取りが。触れ合える喜びが。
「めげねぇな、っとに」
「ライナスが喜ばせてるんだけど」
恥ずかしがりもせず、言いたいことを、ライナスにとってむず痒い言葉をつらつらと吐き出すがライナスは苦手だ。好きだのなんだの、そういった類いの言葉とかけ離れた生活であったのに、そうした言葉をわざとかと思うほど投げてくる。しかしそれは自分だけというものではない。八方美人なのかと思って放っているのにこのザマだ。ほだされるなんてのはガラでないと分かっているのに。
惜しいと思うこともなく、その手は離れた。それから小さなタメ息が漏れる。あーだこーだと自分の感情に理屈をつけるのは疲れるもので、これも自分らしからぬことであるから痛感しているところだ。
「チョロくねぇ?」
それは自問であったかもしれない。
「無い物ねだりしない私はエライ」
ね、と同意を求めるに頷いてやるのは簡単な筈だろうに――。
「なぁ」
「うん?」
「良かったな」
彼女の言葉にのることはできない。まだ意固地になっている。なのに、自分の投げた言葉で笑顔が引き出せるのは悪くないと思うのだからやはりチョロいのは自分なのだと、ライナスは自覚せざるを得なかった。