透徹のしるべ


双子神 @ 聖闘士星矢
Published 2025/07/07
title by icca

 めずらしいこともあるものだ、とは紅茶に口をつける。このなんちゃってお茶会に普段参加しない銀の神が存在しているのだから、無理もない。ついでにマジマジと見入ってしまうのも仕方がない。

「なんだ?」
「どういう気の迷いかな、と」

 にこり、ときれいに貼り付けた笑みを浮かべ、まるで隠す気のない不満顔を見せる死神にもまた同じように不満を滲ませて答える。

「だって今日はヒュプノスが喚んだわけだし」

 このお茶会などというただ雑談を楽しむような場に、死を司るタナトスが参加するのは非常に珍しいことだった。彼の目的は明確で、そうしたコトに及ぶまでに放置することなど当たり前のようにする。そうして放っておかれたを憐れんで手を差し伸べるのがヒュプノス、というのが彼らの関係であった。

「平和に終わりそうで助かると思ってるんだけどなぁ」

 タナトスに喚ばれてしまうと、実際はそうなることはないと解っていても瀕死の一歩手前なのではないかと思うほどに生気を侵されてしまう。反対に、ヒュプノスなどくらりと目眩が襲う程度なのだから優しいものだ。【殺さない】という条件が約定の中に組み込まれているものの、しんどい思いをしたくないと思うのは自然なことのはずだ。だから今回の相手がヒュプノスであることはの中では当たりでしかない。気分が良くならないわけがない。

「時に。いまだにタナトスのニンフたちから悪戯をされているのか?」
「……まぁ、たま〜に?」
「なるほど」

 更にはこうした気遣いまである。彼女の中でタナトスとヒュプノスという双子を比べるなら、間違いなくヒュプノスに軍配があがることだろう。今も彼は兄神になにか言いたげな視線を送っている。

いいぞ。もっとやれ。

 タナトスに何か言えるのは彼の主人である冥王、もしくは半身の弟神しかいない。そして驕ってもいいというなら、ヒュプノスは自分をきっと好ましい対象だと捉えているはずなのだ。敵地とも言えるエリシオンで彼だけが気に留めてくれる存在であるがゆえに、の眠りの神へ対する信頼は篤い。

 篤いがための油断でもあった。

「では、お前がタナトスの寵を得ていることを示さねばならんな」
「なんて?」
「寵、と言った。主人の機嫌を損ねる愚か者はいないだろう?」
「分かるけどよく分かんない。いや分かりたくない」

 この手の嫌な予感というのは悲しいほどによく当たる。ぞわりとした危険察知能力が、無表情を崩さないヒュプノスのせいで一気に強まった。
 彼に好ましい思われているなどと身勝手に思い込んでいたが、所詮、神と人なのだ。とは認識を改める。
 さらには現代では聞きなれない“寵”などという見当外れな表現に分かりやすく眉をひそめた。タナトスとの関係にそれはありえない。絶対にだ。

「そもそも、その“寵”とやらはタナトスに喚ばれてるときがそれなんじゃないの?」
「だが時には、寝所に隠すよりも効果的だぞ」
「うわ、聞きたくない。やだ、やめて」
「外に出して知らしめるのも大事なのだ」
「理解の範疇外すぎる……そういうコト、外でやるなって前にヒュプノスが自分で止めてたのにっ!」
「手癖の悪い神が多いのは事実だ。それに、相手が誰であれ手っ取り早い」

 はあんぐりと口を開けたまま絶句する。だが、ここでもたもたしてはいけないと自分に言い聞かせる。

「いやいやいやまってまってまって。いったん、整理のために解散しよう、そうしよう!」

 軽やかな音を立てて両手を合わせる。もちろんとっておきの作り笑いを浮かべて。というのに、双子神は示し合わせたように、同じタイミングで笑う。鼻で。

「ヒュプノス。仕切り直そ? ね?」
「ああ。茶会はいつでも開ける」
「ちがう! そうじゃ――ひっ!!?」

 まずい。まずい。まずい。

「ちょっとタナトス! 放して!」
「なに。弟がせっかく心配してくれたのだ。応えてやらねば」
「いやいやいや。あんたがニンフちゃんたちを諫めれば丸く収まるんですけど?! でも殺せとは言ってないからね?!」
「お前は自分の心配をしたいのか? ニンフの心配をしたいのか?」
「私に決まってるでしょ!」

 おかしい。たしかに彼とは距離をあけて座っていたというのに、いつの間にか背後を取られている。おそらくテレポーテーションで引き寄せられたのだろうが、そんなことよりも、逃げられない現実のほうがには問題だ。もともとの実力差が歴然としたものであるから、彼女が自力で逃げることは不可能でしかない。

「ヒュプノス……」
「そう怖い顔をするな。お前のためだ」
「絶対ウソ。愉しいって顔してる」

 すでに体を弄り始めるタナトスの手を掴んで、目前のヒュプノスへ不満を伝えるが、元々表情を崩さない彼はやはりいつもと変わりない。彼の金の瞳はよく彼の本性を物語る。に睨まれたところで、良心が揺らぐことはない。涼風すら吹くことはなかった。
 その長い指がの小さな顎をすくって、挨拶のような口づけをしたとして、やはりそこにある動機というのは彼女で愉しむそれでしかない。

「ご、ごまかした……」
「何を言っても意味はないだろう?」
「だって」
「まだ終わらんのか。俺が待ってやっているのだが?」

 そう時間をとってはいないはずなのに、タナトスは悪びれた様子もなく持ち前の短気を前面に出す。ただ、彼が行動に移す容易さを考えるなら、言葉通り待ってはいたのだ。むんずと掴んだの抵抗を示す手を振り払わず、そのまま好きにさせているのが何よりの証拠だった。

「ヒュプノス。嫌われたな」
「そのようだ」

 まるで洗脳するかのようにの耳元で囁くタナトスの声は、驚くほどに穏やかだ。いつも耳にする罵詈雑言の類がないからか、声音だけは心地よく染み込む。

「可愛がってやるから機嫌をなおせ」

 不満の矛先が自分でないのを良いことに、タナトスの気分はすこぶる良い。

「お前に俺達の道理が解らずとも無理はない。我らと人間はそういうものだ」
「えええ……」
「理解しているのではないか? いや、諦観になるか」

 さわ、と服の中へ侵食を果たそうとするタナトスの長い指を掴みながら、ヒュプノスの言葉はやはりは解せないと眉間にシワを寄せる。

「ふっ。残念だがタナトスの我慢もここまでのようだ。私は席を外す」
「え?!」
「機嫌の良いタナトスをうまく転がせ」
「そんなムチャクチャな!」
「後で褒美をやろう」

 タナトスからの無言の圧はヒュプノスだけに向けられていて、彼はそれを良く理解している。ここから去れというものだというのも承知の上だ。しかし、そうなるように仕向けたのは自身に他ならない。タナトス同様に機嫌をよくしているヒュプノスは、にとっては得体のしれない何かだ。

「ひ、ヒュプノスさん……あの、それ、辞退って……」

 ざわりざわりと彼らしくもない饒舌さに、の不安は募っていく。どこか穏やかでいて――それでいて怖い。
 良からぬことを考えている。この双子神は対照的なようでよく似ている。眠りが安らぎ、とは人間の勝手な思い込みだ。彼らはいつも隣り合い、命ある者の背後に揃って立っている。

「ハーデス様のお力を借りることができず不出来なものにはなるが、まぁないよりはマシになる」
「いや、だから待って。なにが?」
「その時になれば解る」

 まだ内緒だとでも言うように、意味ありげに興味を引く言葉をわざと残すヒュプノスだったが、タナトスが「遅い」と不機嫌そうにぼやく声が耳に入ると、あっさり続きをやめた。
そしてすっと、まるで煙のように音もなく姿を消してしまう。
気づけばタナトスと二人きりだ。
ついさっきまであんなにのんびりした空気だったのに、急に場の雰囲気が変わってしまった。
 あたふたと戸惑うのがいいのか、ふざけるなと反発するのが良いのか、には分からない。
 ビクッと体が反射的に震え、うまく感覚を散らすことができなかった自分を悟る。もしかすると、ヒュプノスは意図的に理解させないよう仕組んでいたのかもしれない。考え込ませる隙を奪うように、二人で巧妙に画策していたのかもしれない。

「終わりだ」

 タナトスの低く熱を孕んだ声は合図だ。
 邪魔なものはいらない。面倒事もいらない――そう告げている。もともと彼らの道筋は定まっている。

 は金と銀の揺るぎないしるべに、ため息を吐くしか出来なかった。



人間だけが理不尽を感じる
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