ああ、この日のために今日は頑張った。
そうしてシャワー上がりに髪を拭きながら、リモコンを片手にテレビの前に待機するは間違いなく今日この日の自分を褒めたくて仕方がない。放っておけばどんどん追加される仕事を、これでもかというほどのスピードで終わらせたのだ。まぁそうしたところで、やはり増え続けるからと定時後一時間、いかに自分が頑張ったかを告げて帰ってきたのは内緒である。
夕食は簡単なものだがもう並べた。シャワーだっていま終えた。のんびりと自分の時間を満喫することの幸せを噛み締められる。こんなに幸せなことはない。
そう思っていた――
「だーかーらー!! なんっで喚ぶの! このタイミングで!?」
見慣れた自分の部屋はいつの間にか緑豊かな楽園へと様変わりしていた。疲労が取れるようにマイナスイオンでも浴びろという粋な計らいなのか。いやちがう。絶対違う。
「タナトス。さっさと還して」
振り向くと、長身の銀の神が立っている。
驚けと言うのが無理なくらいに、この神からの理不尽は受けていた。
「見たいテレビがあるし、ご飯もお酒も用意してたんだから!」
「食事なら用意してやるぞ」
「あとテレビ! 観たいのが今からだから早く」
「…………」
「ちょっと。その“ガキくさ”みたいな態度やめてよね」
イラ、とするタナトスに釣られてもイラ、とする。そもそも彼のワガママには大抵付き合っているのだから、偶には自分の言い分を聞いてくれてもいいではないかと思っている。
そんな思いを込めてじとと見上げるのだが、きっと無駄なのだろうな。とは溜息を一つ吐くのだ。そもそも分かってくれるのなら、理不尽さを感じることはない。
「還す気がないなら、さっさと抱いて」
諦めたように、ほらと両腕を広げて見せる。
この楽園が好きとか嫌いとかそういう問題ではなかった。神という存在が人間を本能的に見下すのは理解している。この遊びもそうした優位性からくる嗜好の一種だとは分かっていたのだが、どうやら思いの外鬱憤を溜め込んでいたのだと初めて自覚した。
「タナトス。はやく」
愛想笑いもさすがにこの時ばかりは浮べられるはずもなく、の表情も声音も醒めている。投げやりな態度に、タナトスは眉を釣り上げた。苛立ちとはまた違う。彼女が顕にする怒りの情が実に興味深いのだ。ここまで拒絶をあらわにされたことは今までにない。心の内と体が真反対なのは人間の為せるわざなのだろう。心に嘘をつけない神は、多くが激情家で自身を偽るのが得意ではない。だから神たちの気分は山の天気のようにコロコロと変わることも珍しくはない。今やタナトスからはつい数秒前に抱いた苛立ちは消え失せているのだ。
触れてやろうとタナトスが一歩踏み込むと、の顔にまた苦味が増す。優しく抱きしめようなどとは微塵も思わないタナトスは、やや乱暴にそして難なく片腕だけでちいさな体を抱き寄せた。間をあけてが腕を回してくる。不本意そうに。それがまた何とも不可解さを示していて面白くある。
ぐ、と瞬きのごとく力を入れて、タナトスはの体を解放した。
「……?」
「着いたぞ」
「なに……わたしの、家?」
「お前に付き合ってやろうではないか」
「え、やだよ。“お一人さま”タイムがした……聞いてない」
明らかにそれはタナトスの気まぐれだった。
呆然と、思いの外聞き分けたタナトスにどう反応をしていいものか考えあぐねるが、やはり彼はタナトス――神だ。自分が思うように行動して、こちらのことなどお構いなしなのだ。
だから彼はソファにもう腰掛けている。我儘を押し通したわけではないのだが、何となくバツが悪い。
付けっぱなしであったテレビは、望んでいた映画の一幕が流れている。まだ序盤だ。巻き返せる。と思いながら、冷蔵庫から瓶を二つ取り出す。
「はい。美味しいと思えるかは知らないけど」
彼の好みなど知ったことではない。口に合うのかどうかもだ。取り敢えず、喉を潤すものを渡しては隣へポスンと腰掛ける。ご飯などと言っておきながらただのつまみだが問題はない。
「カンパイ」
タナトスからの反応など端から求めてはいなかった。CMが終わり話の続きが始まれば、もうそちらにだけしか興味は向かない。
この気まぐれが、せめて今宵一晩自分の望むように作用すれば良い。
「……ありがと」
だから心にもない感謝も口にできるのだ、きっと。