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「なんなの、その笑顔……」
うわぁ、とは不細工と評されようが構わない程に嫌気を向けていた。対して、この虫けらを見るかのような、凡人なら傷つくそれを受けてなお平然としている彼は特別なのだろう――ゼロの表情は胡散臭いとしか言えないほどに明るいものだった。
「覚悟をキメないとなぁ?」
こうも【覚悟】というものに相違があっていいのだろうか?
と、はふかくふかーく思っている。
「ゼロだけが楽しい状況なわけで、あんたに覚悟は必要ないでしょ」
「いいや? 懸想している相手の前で自慰行為を見せるなんて、覚悟以外に何が要るんだ?」
「まともな思考は持ったほうがいいんじゃない?」
「それは捨てるべきものだろ」
ゼロは間違いなく愉しんでいる。は確信して、小さなため息をもらした。彼の言う通り、どのみち受け入れる覚悟は必要ではあるのだ。何せここは例の部屋なのだから――。
「それでゼロくんがお愉しみにしている題目は何なのかな?」
「どちらかの自慰を見届ける。とあった」
「わー、あいかわらず趣味が悪い」
「そうか? あんただって好きでもない男の相手をしなくていいなら幸運なんじゃないか?」
ぜんぜん。
は口よりも雄弁に表情で語り尽くしているのだが、やはりゼロという男には全く響かない。彼女の気持ちが整うよりも先に、自身の欲の強さを表すかのように慣れた手つきでマントを外す。
それは彼のあってないような自制を完全に取っ払う様にも見えて、奔放さをまざまざと見せつけられている。
「なんでそんなに抵抗がないかなぁ」
実に理解できない。との疑問をよそにすでにゼロの準備は整っている。つまり全裸だ。早い。とんでもない男だなといつも思うが、今このときはそれがさらに上塗りされている。
「なぁ、手を貸してくれないか」
「うそ。マジで言ってる?」
「そのほうが早く終わる」
そしてそう平然とのたまう彼のそれが完璧に繕ったものであることをは解っている。解っているが残念なことにこの手のことに関して嘘は言わないのだ、ゼロという男は。
ちら、と見飽きた男の体の中心部にある男根はまだそこにただあるだけのものだ。
口淫もどちらかと言えばゼロが主体で始めたがる傾向にあっての経験はまぁ浅い。明らかに羞恥に苛まれるべきはゼロだろうに、苛まれているのは自分ではないかという理不尽にまったくもって納得いかないのである。
そんなこんなで唸るをよそにゼロはといえばしびれを切らしたようで、無遠慮に彼女の手をわしづかむと自身の男根へと誘導する。
「げっ」
お世辞にも可愛くない声が出てしまったのは、ゼロの手がの手を包んだまま、ゆっくりと自身を扱き始めたからだった。
掌の下で脈打つ熱が、彼女の指の隙間を押し広げるように動く。
触れているのはゼロ自身の手――しかし、その上に重なるの指は、確かに共犯だった。
は手を引こうとしない。いや、もう引けないのだ。彼の掌に指を包まれたまま、腕を動かされるたび、自分がまるでそれに応じているような錯覚に陥る。
「ほら、あったかい。……なあ、これで“ナニもしてない”は、ちょっと無理があるよな?」
ゼロの声は、いつもより低い。どこか喉を鳴らすような、抑えた笑いが混じる。
熱を持つ茎を押し潰すような動きで擦られるたび、微かなぬめりが増していく。粘る音がの耳を叩く。
動かしているのは間違いなくゼロの腕だ。だがの指は確かに感触を拾っていて――気づけば手首にじんわりと汗が滲んでいた。
彼の熱は、今や掌の中に確かにある。
致し方のない状況、とここは百万歩譲るとして。
しかしこの男のニヤケ顔は、引っ叩きなるくらいに腹が立つ。
ふ、と陰る。
ゼロの顔が近い――それこそ息がかかるほどに。
「エロい匂いが出てきてるぞ、」
「う、うるさい。早く終わらせて」
扱く方の手とは違うほうが伸びて、の、首に回る。
ぐっと、さらに近付く距離によもや唇が触れるのではないかと、思わずゼロの薄い唇を眺めてしまったが、それは耳元に落ち着いた。
わざとらしい吐息の吐き方、引きつるような掠れた声で「」と少し苦しげに名前を呼んでくる。
手の中にあるものが、質量と固さを増していく。
先端から溢れた透明な体液が、潤滑油の役割を果たしてとゼロの手を汚す。
ぬるり、と熱の質感が滑って、指の腹にまとわりつく。
「そう言いつつ、ちゃんと力が入ってきたじゃないか」
「入ってない。ゼロのせいでそうなってるだけ」
確かに、自分の意志ではない。腕を動かしているのはゼロで、彼女は添えられているだけ――そのはずだ。
けれど、脈打つ肉に触れるたび、その熱と粘性が掌に居座っていく。
「……ん、イィ。もう少し」
ゼロの声が低くなり、吐息が熱を帯びていく。の指先が少しでもずれると、それをなぞるように、ゼロは手を誘導し直した。
ぐっと扱く動作が早まる。
の指が、彼の熱を閉じ込めるように包まれたまま、ひときわ強く押し上げられた――その瞬間だった。
「っ、ああ……!」
ゼロの身体がわずかに跳ねると、の手の中でびくびくと痙攣するものがあった。
次の瞬間、白濁が弾けるように零れ、彼女の手と腕に温かい飛沫を残す。ねっとりとした液が、指の隙間を伝い落ちる。どろりと、彼によく似ている。
肩口にゼロが額を預けてきた。
まだ、この男なら疲れないはずだ。
訝しみながらも、汚れてしまった手がさまよう。正直、気持ち悪くて仕方がない。
拭くものはないかと、あたりを見回すがティッシュなどという現代の素晴らしいアイテムはない。誰が洗うともしれない、今自分が腰を落ち着けているベッドのシーツに撫でつける他なかった。
「ゼロ。重いんだけど」
肩に額を乗せたまま、彼はびくとも動かない。息だけが熱を持って、首筋をゆるく撫でる。
「ゼロ。聞いてる?」
「聞いてるよ」
はぁ、と熱い吐息を吹きかけて、ゼロは舌を這わす。
生暖かい感触にだけ、は眉をひそめたのではない。
「ゼロ。この部屋の条件は?」
「自慰を見届ける」
「見たよ?」
「そうだな」
「ゼロ……」
「ああ、ウソだ。ご名答」
さわ、と太ももを撫でる手は、余韻のせいか熱い。短パンの隙間に指を入れて、服の跡を撫でた。
この男の嘘は見分けが難しい。真実と嘘との塩梅がうまい。もしかすると条件の一文でしかない、あるいは勝手に加えたか。顔色を変えない彼は、色々と先を読んで備えている。
ウソだとゼロは言ったが、どこまでか、には分からない。
「最初から言えば良くない?」
ぴた、とゼロの動きが止まる。
ゆっくりと顔を上げ、隻眼のそれはすこし虚をつかれたような色を見せる。
「逃げ腰のあんたがソレを言うのか?」
かすかに笑った声は、どこか尖っている。
が口を開きかけるのを遮るように、ゼロが続けた。
「俺の、イク声どうだった?」
「なに唐突に」
「可愛かっただろ?」
「はぁ? 今、この流れに関係あ――」
「逃げそうだったから、逃げられないようにシただけだ」
悪びれもせず、あっけらかんと。
「……あんたが流されやすいように、お膳立てシてやった。やさしいだろ?」
軽く言いながらも、ゼロの目は冗談で済ませるつもりはない。
浅黒い手が、ボタンを弾いていく。律儀にひとつずつ外されるたびに、布が静かに落ちていく。
胸元も、腹部も楽になっている。
沈黙は肯定だ。だから、ゼロの誘導に乗っている。
ぐ、と肩口を掴まれる。それは合図なのだろう。
与えられる力に任せて、は脱力する。シーツの冷たさが背中に触る。
足の間に割って入るゼロは、そのまま彼女の足を持ち上げる。と、ゆっくりと腰を進めた。
「……ぅッ!」
「イタくはないはずだ。よくヌレてる」
「そ、うかもだけど……んっ、き、ついッ……」
ゼロが意地悪く笑う。
深く打ち込まれたは歯を食いしばり、喉奥で小さな呻きを押し殺していた。
「声、ガマンするなよ」
腰をゆっくり引いて、奥を擦るように押し上げる。
びくん、との背が跳ねた。口元に手を当てて、必死に声を堪える。
「……イイな、その反応」
熱を帯びた吐息が耳を打つ。
次の瞬間、舌打ち混じりに「ゾクゾクする」と呟くと、容赦なく奥まで突き上げた
「ひぁッ……!」
「なあ、今の、どっから漏れた? 喉? それとも……ナカか?」
「……っう……ア……んっ!」
「でも、もう止まんナイだろ? 声、我慢するどころか――甘クなってるぞ」
そう言いながら、ゼロは何度も角度を変えて突き上げる。
一番深く、一番感じる場所を探すように――いや、知っていてそこだけを正確に狙ってくる。
「んっ……! あ、あ、やっ、ゼロ……ま……っ」
「ほら? 我慢しても、身体の方が正直だ」
の中がぬるりと濡れ、きゅうと締めつける。
ゼロはその反応に満足げな顔を浮かべ、耳元に唇を寄せた。
「あんた、不満でイッパイだったよな。最近」
図星か、はたまた返事の代わりか。
跡がくっきり残るほどの強さで、浅黒い腕には爪を立てる。
と、ゼロは小さく笑った。
「……ヤめとくか?」
予想外の言葉に、の瞳が揺れる。拒絶と共に。ここで立ち止まれたはずだった。
けれどゼロは、ただその目をじっと見据えている。答えを待つように。揺らぎの先を待っている。
それが――嘘ではないのだと、彼女は直感する。
「いまさら、……それ?」
ようやくの言葉は、かすれていた。
喉奥で喘ぐように漏れたそれを、ゼロはきっと聞き逃さなかった。
何かを悟るように、彼の目が細められる。
目が合った瞬間、胸の奥を掴まれるような感覚が走った。
その目から逃げられない――体中に這うような独占欲に中てられる。
「なら――もう少し、甘えていいだろ?」
そのまま、優しく口づけられた。
ついばむように、肌を確かめるように。
次いで、奥をなぞるようなゆるやかな動きが返ってくる。
その律動がどこまでも深く、熱を溶かしていく。
「んっ……あ、ぁ、ッん……ゼロ……っ」
もはやの口から洩れる声に、抗う理性は残っていなかった。まるでその熱に蕩かされるように、身体の奥がまた甘く脈を打ち始める。
一番敏感な場所を執拗に撫で立てる。腰が逃げても、力強く抱えられ、そこだけを突き上げられた。
「あ、あぁ……だめ、や、ぁっ、イク……んっ!」
全身が跳ねる。
胸の奥で何かが弾けて、真っ白な光のようなものに包まれて、はゼロの腕の中で震えた。
呼吸すら忘れそうなほどの余韻に囚われながら、はぐったりと身を預ける。
息を整える間もなく、ゼロの指先が首筋を撫でる。汗を辿るように、皮膚のきわを繊細に。
擦るでも、押すでもない。まるで崩れた身体を“調律”するように、慎重に、執拗に。
喉元、鎖骨のあたり、脇腹――そして背中へ。音も立てずに、己の音階を刻むように撫で続ける。
自分のところへ堕ちてきた、そう感じさせる手つきだった。
「ああ……やっと、素直にナったな」
それが、彼の欲しかった言葉なのか。
それとも――の変化を、ただ喜んでいるだけなのか。
どちらなのかは、もうよくわからなかった。
しん――と静けさが戻る。
ほんの束の間、世界から音が消えたような感覚があった。
そのとき、「カチャリ」と、重い金属音が部屋の扉から聞こえた。
――鍵が、開いた。
の鼻腔にふと染み込んだのは、部屋にずっと漂っていた、微かに湿った古い木材と皮革の匂いに混じって、ほんのりと残る汗と肌の熱気だった。
夢の中で鈍っていた感覚が、一気に研ぎ澄まされていく。
匂いの輪郭が鮮明になるたびに、彼女の意識は現実の冷たさを取り戻していった。
次の瞬間には、現実が雪崩れ込んでくる。
夢の終わりはすぐそこにあるのに、ゼロの手だけがなお夢の中にとどめる。
身体はもう限界だった。
頭の中も、ぐしゃぐしゃで何もまとまらない。
逃げたいのか、ここにいたいのか――それさえ、もうわからない。
「は、……っ、しんどい」
返事はない。
ただ、ゼロの指先が、顔にかかった前髪をそっと払う。
額に触れるか触れないかの距離で、の視界を、静かに戻してやった。
ふいに、ゼロと目が合った。
その瞳に、どんな感情が浮かんでいるのか。もう読み解く余裕もない――だが、そこに映り込む自分に何が灯っているかは、わかってしまった。
もう、戻れない。
それきり、沈黙が落ちた。