ふと、忘れていたことを思い出して、それを解決しようとしたのが間違いだったのだろう。火急の要件ではなかった。むしろそれは善意の一部で為るのだから、わざわざ彼女が寝る時間を割く必要などはなかったのだ。寝る、といっても日付など変わっていない時間で、ただそう、大きな満月が近くに浮かんでいたのが悪い。昼間の暑さが嘘のように引いて、秋の虫も僅かだか出てきているらしい。
 そうして季節の移ろいを楽しんでいたのも悪かったのだろうか。唐突にぐいと後ろから左手を掴まれて引かれる。油断しきりの体は呆気なかった。

「良い夜だな。
「そーね」

 声と顔と名前が一致して、そういえばこの男は満月が好きだということも思い出して、何故ここに居るのかまでは理解できる。人の指先を口にくわえる彼の行動は――別だ。

「あ、そうだ。ちょうどいいわ。これ、オーディンに渡しておいて」

 空気に呑まれないように、話を長引かせないように、と選んだ言葉は相手に頼みごとを委ねるばかりで返事を聞くつもりはない。ポケットに入れておいたビー玉を取り出して、自身の手を掴むその手に無理に持たせる。小さなそれは意識しなければ取り落としてしまうものであったからか、の望んだ通りにゼロの手は対象を移す。「頼んだよ」と言って踵を返して、めでたしめでたしとなるはずだった。

「そんなことくらいお安いご用だ、が――まぁ待て」
「ですよねー」
「この傷は?ラムネ瓶と関係があるのか?」
「私の世界だと捻ったら上の部分がとれるんだけど、ここのは全部硝子で出来てるから割ったら、というやつ」

 目敏い奴、と言いかけて止めたのは何か言えば墓穴に通じそうな気がするからだ。問われたことにのみ返答するのが得策だとは信じるし、おおよそでそれは正しいのだが、「そうか」と隻眼のくすんだ瞳が、捉えるのだ。切っ掛けを。彼にとっては理由は些末なことで、それこそもう見つけてしまった捉える切っ掛けだ。

「ほら、座れよ。包帯を巻いてやる」
「え!?槍が降るからいいよ。こわい!」
「傷口に舌をイれてやろうか?」
「う、わ!きもちわる……」

 踵を返していたの肩をむんずと掴んでゼロは放さない。一方で、彼女から受け取ったオーディンへの渡しものに至っては空いた手で自身のポケットに入れるのだ。力の差は歴然としていた。

「唾付けとけば治る!治るから!!」
「よしきた。得意だ、任せろ」

 にやり、と口角を吊り上げるゼロは機嫌が良いのだろう。「やめて」との上擦る声を流してゼロは更に気分を良くし、見つけた傷口に舌を這わせる。ざらりとしたそれが傷の表面を撫でるとピリピリとした痛みが走る。出来てまだ時間の経っていないそこには強い刺激だった。

「バカ!痛いって!」
「それより、オーディンはどうだった?」
「は?」
「オーディンのことは気に入ってるんだろ?」

 “具合”はどうだった?と訊くゼロはおおよそ知っているのだろう。引っ掛けているとも思えなくはなかったが、オーディンと同室である彼のことだ。もしオーディンが平静を保てていなかったとするなら、彼の挙動から想像は容易い。そもそもの原因はゼロ本人にあるのだから尚更だ。「媚薬なんて持たせないで」と咎めてもゼロにはどこ吹く風であった。

「媚薬じゃない。あれは一種の自白剤――まぁ自分に素直になる薬だな」
「性質が悪過ぎない?」
「で、俺もさっき飲んだ」
「え?いやなんで?!」
「月見に何も用意してなくてな。余っててちょうど喉を潤すのに良かった」
「……耐性があるのよ、ね?」

 まずい、と後ずさろうにも手を掴まれていてはそれもならず、薄いと分かる望みを口にしてみてもゼロが良い返事をすることはない。「さぁ?」と他人事のそれを発すると、当たり前のように唇を重ねてくるのだ。

「ちょ……っ、ゼ、……んん、」

 口ぶりの軽さとは裏腹にゼロは強くの手首を掴む。骨の軋む音が体の内部で響いて本気を知る。もっとマシな誘いかたはないのかと思えど、考えてみれば快諾する自分ではない。いやだからと言って……。

「む、りむり!」

 お風呂も済ませた。勘弁してくれ。とは抗議するがゼロにしてみれば知ったことではないし、そもそも聖人とはかけ離れた嗜好の持ち主だ。執拗に口付けながら、から空気を奪う。だから力が抜けていく彼女の両手を思うようにするのは実に簡単で、ギリ、とした骨の軋む音とは違う違和感に気付いたはひどく自分を恥じた。キスが気持ち良かった、などとは口が裂けても言えない。だから惚けるよりも先に違和感の正体を探り、異を唱える。これはなに?と。

「逃げないおまじないだな」

 蝶々結びともいえば多少は可愛さもでるが、実際はほどけないように入念に結ばれている。蝶々結びとは似ていても全くの別物で、それが余計に厭らしさを醸し出している。手拭いか何かのようだが、それにしても何故気付かないのか、とは手首を縛るそれを解こうと試みながら悪態を吐いた。

「ほら。中々イカしてるだろ?」

 何が?と言わざるを得ない。なにせゼロは縛った手の間に頭をくぐらせるから、端からみればが腕を回して抱きついているように見えなくはない。尚悪いことに身長差が手伝って、縛られた手を彼の頭上から抜くことはできない。「愉しもうぜ」と全く笑えない口説き文句と共に壁へ押し付けられて、は心底後悔した。
 当に欲情しているのか、クスリが影響しているのか、荒い吐息が首筋を撫でる。そして嫌がるのを知っていながら、服でも隠れない位置にゼロはキスマークを付けた。「ゼロ!」咎めるそれであっても意味は為さず、意趣返しさながらにより濃いものに作り替える。仄かな色など通り越していた。

「嫌なら噛みつくなり、俺のモノを蹴るなり、出来るだろ?」

 ゼロは言うが、足を割り込ませているこの男の局部をどう蹴りあげれば良いのか。体術の心得などない。また、噛みつこうにもその気配を察して逃げていくのは誰だ?とは眉根を寄せる。
 喉の奥でゼロが笑った。わざとらしい音を立ててリップ音を響かせるのは優越感の顕れなのか、図りかねるが片足を持ち上げられ固くなっている局部を押し当てられるとそんなことはどうでも良くなった。体が強張り、息が詰まる。

は厭らしいからな」

 違う。その返答が口から漏れるよりも先に認めないとゼロが塞ぐ。尚も発そうとするならぬるりと舌が絡んでやはり言葉を奪った。後ろ髪を掴むことくらいしかには抵抗の術が思い付かない。しかしそれさえもどうやらゼロの気分を良くするらしいのだ。甚だ理解不能だった。
 執拗な口付けに少しうんざりとする。「ん゛ー!」と唸っても聞き入れる気がないのか戦意喪失した舌に自身のものを絡め撫でる。息が荒くなるのは仕方がないことだというのに、ひどく打ちのめされた気になった。
 片足を持ち上げられたままで、空いた手が尻を撫でる。なだらかな丘が手に馴染むのを楽しみ、また固さを増した局部をぐりぐりと下着越しに秘部へ押しつける。あからさまな劣情がそこには確かに在った。
 下着がずらされて、ゼロもまたいつの間にか自身のものを露にしていた。愛撫らしい愛撫を受けていない割れ目にぐ、と先端が割り入ろうとする。

「ん、や…っ、」

 ゼロのマントを引っ張り、頼りにならない抵抗の声をあげてみる、がやはり結果は予想通りだ。壁に強く押し付けられると、ゼロに都合の良いように体が固定される。先走る欲をつけた先端が割れ目を撫でる。誘惑さながらに。体はなぜかその誘惑に乗って、ぬるりと欲を促されてしまうのだからは困った。

「ふ、っく!あっ、……あぁ!」

 そうしてスベりが良くなったものだから、ゼロの屹立としたものがつぷんと先端を埋めた。逃れるように無意識にゼロに回す腕に力を込め腰をあげるも、それはただ挿入をよりスムーズにするだけの動きにしかならない。一思いに挿せばいいものを、身を捩り、悦と悔を混ぜた表情を愉しむようにまだるっこしいほどにゆるり、ゆるりと腰を進める。とにかくこの男の情は捻くれていて、面倒だった。

「っ…いいシまりだ。イキそうだ…っ」
「あ、ァん!ば、…ヤ、ぁ……!」

 自重が挿入を深くして奥を突く。緩やかに始まった律動だというのに、数時間前にも刺激された奥を突つくからなのか、頭をもたげたかと思うと早々に快楽というやつは恥じらいもなく姿をあらわす。甘い悦びがから漏れると、ゼロは強く穿つ。一層強くそれが漏れるように。一層強く欲していると伝えるように。

 伝わらないはずがない。ただそれは知らないふりをしておくのが都合がよいのだ。

 秋風の冷たさを上回る熱があった。強く密着しているからか、まるで熱を共有していて浮かされるは少ししんどい。本意でなくともゼロの肩にもたれて楽をとる。うなじを乱れた吐息が撫でる。一生懸命なことだ、と少し醒めている自分が窺っていて――困ったことに心を動かされたのだ。微かに。

「ん、ん、あ……っん、ぁ!……っう」

 支えられていても立つのがしんどくなってしまう。もたれていても、気後れしてしまう。

「内股がヒクついてるぜ?」

 上擦る声でゼロが伝える。「知ってる」と喘ぎの合間に答えれば、それは流れのある会話の一つであったかのようで、足を抱え直すゼロの動きが速さを増す。何かを耐えるように力を込めるなら、そこが弱い場所だと教えているも同然で――。

「ヤ、ぁ、ああ!…も、っ……ん、んッ――!」
…っ」

 低い声と熱い舌が耳の中に侵入する。たったそれだけのことだがには充分な刺激であった。目を閉じているのに白んでいる。いや、チカチカと瞬いていたかもしれない。体の中心から熱が爆発して、融けた気分だ。力を入れられているのか、抜けてしまっているのかすら分からないし、今は余裕がなかった。
 脱力しきってしまったを支えながらゼロはその場に胡座をかいて座る。手を拘束しているとはいえ、密着の加減が良いのは事実で、すり、と頬を寄せる。はなされるがままで、いや、拘束された手でとんとんと後ろ頭を撫でる。むず痒い。そんな情に慣れていないゼロは誤魔化すように胎内の雄を太くする。

「欲しいだろ?」

 体の付き合いだと確認する問だ。誰かを待つそんな境遇が似ていて、叶うまでの付き合いで、舐めあい、というのが切っ掛けだったと再確認する――。

「ん。満足はした」
「へぇ?太いのが欲しければ――」
「いいから黙る」
「ナニいっ……」


 これは何を意味するのか、と問うのは簡単であった。しかしそうしない。それこそ簡単なことだ。野暮なことで良い芽を摘むほど愚かではなかった。


「っ、こら!固くするな」
「いや、ヒィヒィ言わす」

 後悔したのは一人だけだった。
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