「あぁ、ちょうどいいところに」

 茹だる暑さに軍内の士気は幾分下がりぎみであった。もちろん暑さに耐性のある者とない者の差はあって、彼――ゼロはおそらくあるほうだろう。そんな彼が同じ主のもとで働く同僚を見つけると、軽やかな動作で近付いた。皆が暑さに汗を浮かべているというのに、ゼロの顔色は涼しい。彼よりも軽易な服装であるオーディンは気味悪く思った。

「どうしたんだ?」
「なに。お前はと仲が良いだろ?代わりに渡してほしいものがある」
「は?自分で渡せば良いだろ」

 不気味な同僚の突拍子のない頼み事に対するオーディンの反応は至って普通だ。オーディンの知る“”という人物は、他人に対して決して冷たい態度を取ることはない。その実がどうかは分からなくとも、大人であることには変わりない。

「俺とはワケありでな。俺の想いなんて受け取ってくれやしないのさ」
「それはお前の自業自得だろ」
「まぁそう言うなよ」

 よしみだ、と都合の良いことを持ち出してゼロはニヤリと笑う。

「これは暑さにやられてるへのちょっとしたプレゼントだ。あいつはだいぶ暑さに弱いみたいだからな」

 まだ承けるとも言っていないのに、ゼロは当たり前のようにオーディンへ物品を渡す。それは淡い青色をした液体で、鑑賞の意では爽やかで見目が良い。

「ラムネとかいう白夜の飲み物だ。まぁ中身は透明で、色ガラスがそう見せてる」
「へぇ」
「白夜はがいた世界と似ているらしい」
「そういえば白夜の甘味が懐かしいとか言っていた気がする」

 そうだろう、そうだろう。とゼロの笑みは深くなる。

「普段からかっている侘びなんだが、俺からだと絶対に受け取らないだろ?」
「名前教えるついでに詫びればさんは受け入れると思うが」
「バカ。男と女がそんなに急速に近付くもんじゃねぇ」
「……は?」

 オーディンが深くつっこむよりも早く、ゼロはラムネを持たせる。そして自身の職業であるシーフに恥じない素早さでその場を後にしてしまう。マントをつかもうにも、ひらりとそれはすり抜けてしまった。

「ラムネ、か」

 陽に透かしてみる。沈殿物はなく、小さな気泡が浮いていた。飲み口の側にはガラス玉があって、白夜の民芸品に似たものを見たことがある。ただのガラスがおもちゃになるなど酔狂なものを作ると感心したものだ。まじまじとオーディンは手の中のものを見て、ゼロが消えた方向とは反対方向へ歩みだした。



さん!」

 ラムネを片手に向かった先は、が結構な確率て居る寂れた東屋だ。なるほど寂れているからか、他の場所と比べて薄暗いそこは少しだけ涼しいかもしれない。目当ての彼女は得物を側のテーブルにほっぽりだして涼んでいるようだった。
 名前を呼ばれた、と認識して振り向くはオーディンを見つけて柔く笑む。彼の特殊な性癖を物ともせず、むしろ好ましく思うほどだから彼女も大概変わり者かもしれない。

「暑いね」
「えぇ。ところでこれ、分かりますか?」
「うん?ラムネだよね」

 とりあえずゼロに渡されたものは紛い物ではないのか。はい、と肯定して彼女へ渡すがは驚いた顔をして見せる。影に入っていなければジリジリと痛みすら覚える季節外れの夏日なのだ。冷たい飲み物は貴重だ。

「や、さんへ渡すように頼まれたので」

 がラムネを手に取ることはない。コトンと置かれたそれは所在無げで。

「あの、この中のガラス玉なんですけど」
「欲しいの?」
「まぁ、はい。なんか良い感じに魔力がこもってそうで」

 オーディンはチラチラとラムネを気にしていた。ただそれは気泡が泡立ち澄んでいるとは言えない。

「少し待たないと。今開けると大惨事だよ。爆発する」
「む!やはり俺の見立てに狂いはなかったか!これがあれば究極魔法が完成するかもしれないな!」
「ガラスより宝石の方が魔法と相性が良いって聞いたけど」
「なんだ。知ってたんですか」
「憧れた時期もあったからねぇ」

 どうぞ、とは差し出すがオーディンは受け取らない。一応、これは明確に誰へ宛てたものかを聞いていて、本人が良いと言ってもおいそれと頂く訳にはいかない。それくらいの分別はあるのだ。

「ね。これ、誰から?サクラ?ヒノカ?」
「いや、あの、えーと、あいつです」
「げっ!じゃあナニか入ってそうじゃない」
「否定はしないですけど、認めた相手には優しいですよ。たぶん」

 はゼロの名前を聞きたがらない。数ヵ月前だったか、彼が召喚されて幾日か経った頃に嬉しそうにからかいがいのある奴を見つけたと報告された。彼は少し特別で、女性陣達からの評判はすこぶる悪い。誰がその餌食となってしまったのかと興味本意で訊ねるとまさかの名前だ。理由を聞けば単純に自分が良く口にする名前だというから、堪ったものではない。

「……やっぱ危険な香りがするので俺が処分します」

 主君の敵とあれば、ゼロは容赦しないだろう。しかしその肝心の主君はここには召喚されていない。質の悪い戯れのはずだ。そうであってほしい。
 わずかな疑念が、先程まで綺麗だと印象付けていたものをあっさり返してしまっている。が、中のガラス玉はほしい。彼女に害が及ばず、自分の欲しいものが手に入れられるのであれば、それは実に喜ばしい。

「耐性はそこそこあるとは思うので」

 何とかなる。半ば自分を言い聞かせる。気泡が落ち着いたそれをは慣れた手つきで開封し、オーディンへ渡す。渡されたときよりも随分と温くなってしまっている。が、冷たいほうか。空気の抜ける音も爽快でこんなにも美味しそうだというのに――。

飲むぞ。

覚悟を決めた。

 

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