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嫌なわけではないけれど ライナス/FEH 19.07.16
よし飲むぞ、と勢いをつけたオーディンがラムネの瓶に口を付けたときだ。それを図ったように邪魔する声が上がった。少しヒステリックで、高い。ではなかった。「なに遊んでんの!」と、姉のような口調で怒るのは彼とは同郷のルーナで、赤く長い髪のツインテールがよく目立つ子だった。
「おい。今から秘薬を飲もうと――」
「バカ!そんなこと言ってる場合じゃないのよ!あんたんとこのゼロが――」
「ゼロがどうしたんだ?」
「エリーゼ様に卑猥な言葉を教えようとしてカミラ様に半殺しにあってるわ」
「…………え?」
「レオン様が居ない間はあんたが手綱取りなさいよ!」
言うや有無を言わさずにオーディンの襟口を掴んで歩き出す。まるでそこには存在していないかの振る舞いだ。慌ててそれを拒むオーディンではあったが、零れないようにとラムネを置いているとあっという間に押し返すタイミングを逃してしまって、抵抗らしい抵抗も出来ないでいる。「絶対に飲まないでください!」それが彼とのその日最後の挨拶となった。
ポツンを余儀なくされてしまったは正直手持ち無沙汰だ。暫くは待ってみたものの、帰ってくる気配がない。様子を見に行けば確かに簡単なのだろうが、巻き込まれたくはなかった。
「さて、どうしたものか」
暑気の中を日陰とはいえ待つに汗がうっすらと浮かぶ。暑いのは得意ではない。栓を開けられたラムネは気泡を時折弾けさせて実にそそる。仮にこれに薬が盛られていたとして、どんなものだろうか。毒殺されるほど憎まれているとは思いたくはない。
「何やってんだ、お前。ぶっ倒れるぞ」
薬に詳しいわけではないから、昔見たテレビの情報しかない。定番は毒薬か睡眠薬で、殺されるほどの恨みを買った覚えはないから後者か、とどうみても暑さで頭の中はまともではない。そんなところを通りかかったライナスには知るよしもない。ただただ彼の面倒見のよい言葉が当たり前にへ投げられて、彼女はハッとするのだ。
「ライナス。オーディン見た?」
「誰か分かんねぇ」
「漆黒だけど黄色い子」
「ますます分かんねぇよ」
ライナスはまるで理解できないと眉をひそめる。一度でも共に戦えば覚えたのかもしれないが、どうやらそうした機会はなかったらしい。それ以上の説明はにも出来かねて、「そう」と納得するほかなかった。
別にここでオーディンを待つ必要性がないことは分かっている。戻ってくるとも、待っているとも言葉を交わしてはいない。だから余計に困るのだが――。
「急ぎなのか?」
「急ぎじゃないし、簡単な解決方法もあるにはあるのよ」
要領を得ない。とライナスはイラつきはじめたが、くいと目線を投げる彼女に気付く。その先には例のラムネ瓶があるが、初めて見る代物にライナスはやはり分からずで、首を傾げた。
「とある人から貰ったんだけど、大層なイタズラ好きで、もしかしたら何か入ってるかもしれないの」
「オーディンて奴は薬に通じてんのか?」
「んーん。この中のガラス玉が欲しいのよ」
淡い翡翠色の瓶にはよく見れば同色のガラス玉が確かにあった。
「割って取り出すのがそりゃ一番害はねぇだろうな」
「でも美味しいのよ、ラムネ。暑い日は特に」
「……」
おそらく、とライナスはの言う【イタズラ好きなある人】で、見当をつけた。名前も顔も知らないし、彼女からの情報でしか自分にはその人物を形成することは出来ないが、まぁ、簡単に言えば同様に【悪い奴ではないが何をするか分からない】といった人物像となっている。
「あ、バカだと思ったでしょ。顔に出てるよ」
「当たり前だ。危険犯すくらいなら中身捨てて瓶を割れば済むじゃねぇか」
悪い奴ではないとしても、やはりそれはの情報から得ただけの不確かな存在だ。もっと大袈裟にいえば、本当に存在しているのか、とも。あくまでの主観を元にしているから、ライナスにはそこを馬鹿正直に信じることは出来ない。盲信は身を滅ぼす事を知っているし、彼がそれをできる相手は必ず自分を裏切らない兄一人しか居ない。
「で、お前的にはどれくらいだ?」
えっと、とは肩幅程度に腕を広げてライナスを見たあと、拳二つほどの大きさに幅を狭める。
「おい、半分切ってんじゃねぇか。どうやって信じんだよ」
「私の良心が信じてやれと」
「物欲だろ」
「だって久しぶりだから。ラムネ」
とてつもないバカだな。と失礼極まりない言葉を発しながら座るライナスは、空いた場所に手にしていたコートを放り投げる。粗暴な所作に懐かしさがあって、そんな何気ない自分の仕草がを喜ばせているなど、彼には想像にも及ばない。「貸してみろ」と返事を待たずにの手からそれをひったくると、飲み口に鼻先を近付けてくんくんとにおいを嗅ぐ。甘ったるいようなにおいがする。甘いにおいを発する毒薬を知っているが、これとは違う。
「命に関わるもんは入ってねぇな、たぶん」
俺の知る限りでは。と付け加える。毒物にはそう通じてはいない。ただよく出回るものを知っている程度だ。なにせ、組織の中に粛清者が居るのだ。何を意味するかは、ライナス自身も幼い頃から属しているのだから理解せざるを得ない。だから薄めたものを飲んで耐性を付けることもしてきた、毒に倒れる者も見てきた。
「お前が嫌われてなきゃ、寝る程度じゃねぇか?」
「その後が怖いよね」
「だから捨てろって言ってんだろ」
は思案する。考えるまでもないはずのことを考えるのは、例えばここで宜しくないことに陥ったとしても助けてくれる者がいる安心感からなのか。とは言えそれは彼には迷惑な話になることは分かっていて、“捨てる”ことが一番の良策ではあった。
「命に関わることはないんでしょ?」
「ばっ!何やってんだ!」
分かっていてるのに、何故そうしたのか。怖くなかったのもあったかもしれない。単純に飲みたいという欲求に抗えなかったのかもしれない。いや、彼を試したかったのかもしれない。
ぐいと飲めば懐かしい味が口内に広がる。それがひどく美味しく感じて止まらない。「おい、待て!」と無理に止められて、半分ほど飲んでいたことに気付いた。
「よく飲めるな。俺のちっせぇ知識で」
「ライナスの野生の勘を信じたのよ」
「そりゃどう……ほんとお前そのうち痛い目見るぞ」
「大丈夫、大丈夫。毒ならもう死んでるって、たぶん」
あはは、と笑う彼女のそれは仮に死んだところで他人事のような呑気さがある。死を畏れていないのか、想像に難いのか、それとも望んでいたのか。どうあっても理解できない存在に唸るのだが、これもまた彼女を喜ばせているらしい。
「飲んでみる?美味しいよ」
「心中かよ」
「毒味は済みました」
即効性に限り。と付け加えるのを忘れない。そうしてライナスに差し出すと、彼は大きな大きなため息を吐いては手に取った。ライナスも気にならないわけではない。この世界は、多くの文化を同じ場所に存在させている。召喚される英雄が多ければ多いほど多様性に富んでいて、興味深いものも幾つかあった。中でも飲食物に関しては手を出しやすいものの代表格だ。グロテスクでさえなければ。彼の前にあるものは色もよい。見た目もよい。匂いも甘いがそう悪くない。
仕方なく。の体だ。笑顔がそれを見透かしているのを分かっているが、敢えて無視する。付き合ってやっているのだ、と自分に言い聞かせて口をつけた。
「甘ぇ」
しゅわりと弾けるそれは甘すぎるが酒に似ていた。酒以外にも使われているのを飲むは初めてのことだが、悪くはない。
「なんだよ」
「美味しいよね?」
「まあな」
感想を求められ、偽る必要性はないからと正直に答えるとはイタズラっぽい笑みを浮かべた。こういう顔をする人間は、得てしてろくなことを言わない。
「間接ちゅうしたねー」
「か、かん……?」
「間接的にキ――」
「言うな!」
あぁ、やっぱりろくなことを言わない。大して気になどしていなかったのに、言葉が意識を促すのだから質が悪い。口元を覆ったところで無かったことにはできない。年甲斐もなく溢れる羞恥など尚のこと隠せない。
「あらやだ。意外にピュア」
「るせぇぞ!」
そうだ。こいつはこういう奴だ。何が面白いのか絡んできては乱していく。負け惜しみでしかない舌打ちには効力は宿りもしない。「ライナス」と静かに名を呼ばれて、悔しくも聞いてしまう。
「30分だぞ」
堪えた笑いがひどく複雑な気分を寄越すが、何もないとは言い切れない代物をが飲んでしまったのは事実だ。放っておけば済むことを、“もしも”を想定して付き合ってしまうのだから甘い。“痛い目を見る”などとよく言えた、と思いながらライナスの腰は重いままで、ヘ促す。
「せいぜい引き止めてくれよ」
ゆっくりと、しかし確実に滲み広がるものを持て余す自分は格好悪いに違いないのに、それがどうしようもなく大きく広がってしまったらと、考えるのも悪くはなかった。