フソクの証跡

 ※直接的な描写はないけどちょっと注意。


 ガチャン

 錠の外れる音がして、ゼロの口角が薄らと釣り上がる。時刻は寝静まっているものがほとんどの夜半。気配に敏い者なら気付けた物音に、彼が立ち寄った部屋の主は気づかない。コツ、と靴底が木造の床を鳴らしても反応はない。背後から差す月明かりが影を伸ばして、一足先にベッドへたどり着く。遅れて追いついて覗き込んでも、黒い瞳は見えることはない。眠りが浅ければギロと黒い瞳が睨んでくるのだが、どうやらタイミングが合わなかったようだ。

 彼女に声をかけるつもりはない。話をしようという目的ではなかった。
 少し不機嫌そうに眉根が潜むのは、暑いからなのかそれとも彼女が巻き付けていた薄手の毛布が乗り上げた拍子に締め付けたからかもしれない。
 勝手知ったる態度でゼロはその体に触れる。黒髪に隠れた耳に唇を寄せ、おもむろに鼻先で翳りを外した。不快を示す声が聞こえても構うことはない。と、ゼロは小さな耳朶を甘く噛む。そのまま首筋に唇を沿わせて、跡がつかない程度に吸い付いた。その時だ。一連の動きを拒否する手が顔を押しどけさせ、不快一色に満ちた声音が「ゼロ」と名前を呼ぶ。

「起きたのか? 
「ウザい」
「だろうな」

 ゼロには罵りの言葉の類は効かない。逆に楽しそうに反応が返ることのほうが多く、それがまた彼という人間を不可解にさせる一因だ。今もそうだ。喉でくっと笑う。
 重たい。とごちるは最初の一度の抵抗以外、何もしない。まだ強く押さえつけられている訳ではない。純粋に彼女はまどろみから抜け出せない。

「もしかしてクスリを飲んだのか?」
「……飲んでない……と思う、けど、おぼえてな……い」

 ムクリと上体を起こして、なんとも切れの悪い言葉を発するを見下ろしても、彼女の双眸に自分は映ってはいない。きっと話しかけなければ、また夢の中に戻ってしまうだろう。疲れているのか、不眠の限界か、残念ながらゼロには分からない。
 からかうように下半身を押しつけてみたが、彼女からの反応はない。嫌がるでもなければ、善がることも当然ない。罵りも。なにもない。

「勝手に抱くぞ」

 言って服を寛げるが、の反応はない。ただこの男もため息に留めるだけで、部屋へ戻るという選択肢はない。有言実行が彼の格言にあるかは分からないが、好きなようにの体を弄ぶことにした。
 反応はいつもとくらべると天と地ほどの差がある。もともと睡姦などに面白みを感じる体質ではない。時折上がるうめき声に普段を重ねてまでなんとかする自分も大概だとは思いながら、すごすごと戻るのは面白くないのだ。
 別に想い合いたいわけではなかった。そんなガラではないというのは自分がよく分かっている。少しの娯楽が欲しかったにすぎない。今宵はタイミングが悪く、応じてはもらえなかったが――。

 肌けた服を尻目に、ゼロは一息つく。
 終わってしまった。
 なんとかタイム、と聞き慣れない言葉をが以前言っていたが、思い出せないのは今は彼女が自分に意識をやらない分、つまらなさを覚えているからだろう。そんな話にならないやり取りを思い出すのは、それだけ無駄なのだ。持て余す歯痒さを彼女にぶつけるのは、侭子供だと理解してなお止められない。
 暗闇に映える白い肌に吸い寄せられるようにして、ゼロはの乳房に吸い付く。強く。月の明かりの頼りなさでは跡を確認することはできないものの、確実に残ったはずだ。ひとつ、ふたつ……と。目を覚ました彼女はさぞ驚くことだろう。夢現過ぎて、ゼロの来訪自体を覚えていないかもしれないのだから。

 くすぶる不満をどうにか押し留めて、ゼロはの服を軽く整える。日が出て顔を合わす時、怒鳴られるのか、引っ叩かれるのか、無いことにされるのか――一人だけが楽しいゲームの布石を置いておく。
 来た場所から何事もなかったかのように帰る彼が静かに窓を閉める音など、あってないようなものだった。




「あら。随分と愛されたみたいね」
「おぼえてない」
「ふふ、妬けるわ」
「いや、謙遜でもなんでもなくホントに」

 翌日のことだ。は目覚めて、自身の体の汚れに気づいた。簡単に後片付けは行われていたものの、スッキリしない。そこで、朝のお風呂……というわけだが、長風呂好きの暗夜のお姫様に会ってしまった。

「ねぇカミラ。ゼロって……レオン王子?とどういう関係なの?」
「そうねぇ。出会いは最悪みたいだけど、あの子も利用されただけの男ね」
「会話って成立してた?」
「レオンからは優秀な部下とは聞いていたわ。ちょっと難ありのようだけど」

 へぇ、と想像つかない彼への評価に気のない返事をして、は体中の泡を落とす。体の曲線に沿って白い泡がきれいに流されて、浮くように現れたのは情事痕だった。しかしは覚えていない。そういうことをする相手はすぐに頭に浮かんだし、予想は違わぬのだが、いつそうなったかの覚えがまるでない。

「よくまぁあんな感じで王子さま直属の部下が務まるもんだね」

 時々交わす会話で、もちろん彼が仕えている主を大事に思っていることはよく判る。彼の同僚も絶賛していたから、上下関係はすこぶる良かったのだろう。しかし、だ。他人との関わり方に問題しか見受けられないからか、妄想か何かとしか思えないのも確かだった。きっとそれは、【レオン】が喚ばれて初めて理解できるのだろう。

「とても分かりづらいけど、分かりやすいと思うわ」
「つまり?」
「彼の執着心」
「相手が欲しいだけじゃない?」
「一人の人間に絞る必要はないでしょう?」
「保留で」
「あら。かわいそうなこと」

 楽しそうな笑みに真逆の言葉を添えるカミラに、暗夜のお姫さまの強かさを見た気がした。そうした人間になる環境が、暗夜にはあるということなのだろう。
 もし何かが動き出して、カミラの笑みが心からのものになるような事態になったとして、彼らの国に行けるようなことがあったとして――。

「機会があればまぁ」

 決めるにはまだ足りな過ぎる。
 気持ちの伴わない笑顔くらいなら、にもできた。


耳なら誘惑
首筋なら執着
胸なら所有


2021/07/19

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