理屈に色をつける


Zero @ FEHeroes
Published 19.04.08

 

 理解しがたい事態が起きている。は顔を歪ませて、事を整理しようとしていた。まず第一に、これは侵入者なのだろうか?戦争をしている今、スパイや暗殺者は当たり前に居て然るべき存在である。そして第ニに、今自分の自由を奪っている人物の存在というのは相当まずいのではないのか。
 情けなくも為されるがままピタリと体を壁へと押し付けられている。
 日が沈みかけている今を何と言っていただろうか、などと悠長にも関係ないことを考えてしまうのは現実逃避の一種だった。

「あんたが。で、あってるか?」

 耳元で深みのある声が訊ねてくる。明確に自分を標的としているその言葉に耳を疑ってしまうのは、自分にはまるで他者と比べる秀でた部分などありはしなくて、埋もれて当然な平凡な人間だと自認しているからだ。事実、困難な闘いを強いられる場所には出陣することはなく、専ら召喚されたばかりの英雄が慣れるまでの補佐的な同行者という立場であることが多い。彼の英雄たちのような知名度が自分にあるわけはないのだ。
 ネガティブともいえる自己分析に間違いはない。とは不審者に名を訊ねる。顔を見ることが出来れば、もしかしたらエクラの仕事を手伝う上で目を通す資料のどれかと一致したのかもしれない。しかし、こうも体をぴったりと押し付けられていては、振り返ることすら困難だ。ただ、両手首を捉える手は浅黒いということだけが、彼女が知ることのできた唯一の情報だった。

「そのうち分かるさ。今は楽しもうぜ」
「なに、――をっ!」

 違和感が寒気と同等のものだったと気付く。瞬時に粟立つそれが同意のあるものと無いものとでは、全く別物で、は嫌悪感しか感じることができなかった。同意ありきのそれしか経験したことはないし、互いに納得したうえでのそれが後腐れなく気持ちが良い。それしか知らなければ、これほどおぞましく感じる感覚はこの先も要らない。
 舌が首筋を這う。悪意すら感じるその行為に再度抵抗を試みるのに、力の差が呆気なく阻むものだから、泣きたくなってしまった。それでも緩めてしまえば本当に終わりな気もして、耐えて、機を見ている。何となくで、足下にあるであろう相手の靴を思いきり踏みつけて漸く拘束が緩んだ。僅かであれ、可動域が広がればその分勢いがつけられる。微々たるものであっても良い。相手を怯ませられるならまだ何とかなるはずだ、とは背後の人物に肘を打った。

「っ!お転婆な上に悪い子ちゃんだ」
「き、きも」

 ダメージはたしかにあるはずなのに、まるで堪えていない。よほど手練れているのだろうか?だとしても何故か組伏せられるようなことにはなりたくないほど、歯痒さを感じさせる男だ。臀部に男が腰を押し付けてくるから余計にそう思ったのかもしれない。自身が驚くほど、女であることを悔いてしまうほど、どうしようもない部分を当て付けられている気がした。
 耳元に余裕を含めた息遣いを感じる。おそらく男は本気で事に運ぶつもりはなく、ただ興じているのだろう。

「これはこれはなるほど」
「…っ?」
「あんたヤバイね。そんなつもりはないのに勃っちまいそうだ」

 どこまで本気なのかは分からない。しかし先程と少し感触が違う。

「味見をシたくなる」

 男は言って、の両手を彼女の頭上に片手で纏めあげると、背中を強く押して抵抗を封じる。黒い髪を無遠慮に掴むが、引っ張りはせず、ただかきあげた。露になるうなじは動物界では弱点の一つだ。人間もまたそこを突かれては死に至る場合もある。気配を消し、無駄な音も動きもなく近寄った男はやはりその道に通じているのだろう。
 先程の続きを興じるつもりなのか、男は赤い舌を覗かせる。その様をは相も変わらず見ることはできず、果ては唐突に感触を与えられるのだから堪らない。
 握るだけしか出来ない拳も、拒絶の強さを相手に伝えるのみで、悪いことにそれは男を喜ばせているようだった。

「名前くらい、言、え――っ!」

 ちぅ、と音がした。同時にピリピリした痛みもある。吸われているのだと理解するのに時間は要らなかった。答えないのは気を悪くしたのか、変わらず興じているのか――見えないことが不安を冗長させていく。

「そろそろ泣くか?」

 それは試していたのかもしれない。食らいつく、とは程遠い加減で男はそれまで吸い付いていた箇所に歯を立てる。そうした間柄でなければ、気遣いさえも必要ないというのに、睦事のそれと大差ない。そんなものを充てられても困るのが当たり前だが、憎らしい男の言葉にはそれが霞んでいる。いやそれすらも男の計算通りであったのかもしれない。
 無意識にはそれを感じ取っていたのかもしれない。掌に爪を立て、弱る心に喝を入れる。惑わされるわけにはいかなかった。

「…………」

 髪に触れていた手が唐突にその興味を失った。代わりに、跡をつけた箇所を撫で、そのまま背骨に沿わす。左右に分かれた箇所にたどり着き、心臓に近い方へ手が動いていく気配があったが、胸骨の一番下の骨をなでるだけで、分かりやすい性的な部位に触れることはなかった。そしてそれが行き着いたのは腹部で、何がどうなっているのか――抱きすくめられている。手の拘束も捉えられたままではあったが、壁に押し付けられることはなく下ろされ、柔らかい。振りほどくこともできるだろう。

「おやぁ?今なら逃げられるのに」

 すり、とまるで猫のように顔を頬に擦り付ける男の肌は手同様に浅黒く、漸く伺い見ることの出来たくすんだ銀色の髪の間から覗く顔は隻眼だ。見覚えはない。
 薄く笑む男は悪いことなど何もしていないと言いたげに飄々としている。それがまた癪に障る。

「言われなくても、」

 この男の良いようにはなりたくない。言われるまでもない、と力を入れるとからかうように男は振りほどこうとするの行動を阻む。「何がしたいんだ」と聞きたくなるのも無理はない。

「イイね」

 気に入られる言葉のやり取りはなかったはずだ。ただ男が自分に良いようにすべてを片付けている。行動とは真逆の柔らかい声音が、蛇のように這って脳内に侵入するのだ。むず痒い。

「このままシても良いくらいだ」
「馬鹿言うな」

 のってはいけない。感情を露にしてはいけない。嫌悪すらも抑え込まなければ。この男の、随分と質の悪い挑発にそもそも乗ってはならなかったのだ。

「……誰の知り合い?」
「チッ、気付いちまったか」

 敵意は初めから無かった。その理屈を解っていれば自ずと導き出される答は単純なもの。男は、彼は、仲間なのだ。その口から知己である仲間の名を聞けばそれはもう間違いない。意外ではあるものの、彼の幼馴染みにも軽い男がそういえば居た。個性的な者は多い。

「オーディン、は……あんたに惚れてるみたいだな」
「あらうれしい」
「ヒドイ女だ」

 ぴくり、との片方の眉が上がる。

「名前も名乗らない奴に言われる筋合いはないけど」

 面白くない。男ばかりが一方的にこちらの事を知っているのだ。自分は何も知らないといのだ――名前すらも。

「俺の名前、ね。ベッドで呼んでくれるなら喜んで教えるぜ?」

 男はを気に入ったようだが、あくまで単純な情でしかなくそこに信頼はない。ということなのだろうか。
 拘束が抜ける。一歩踏み出しても束縛はない。

「ヒトリだろ?満足するまでイかしてやれるぞ」

 振り返り、目が合うや言われたその言葉に、思わず、という表現がしっくりくるほどは小さく吹き出した。
 束縛のない今、男の言葉は戯れ言でしかない。望みを隠したというならバカな話で、初対面の男に何を感じとれば良いのか。

「今この何もないゼロの関係から抜け出すことが出来たときに、そっちは考えようか」
「――なるほど。実は固いな。だが、ヒトリ寝の寂しい夜は協力を惜しまないぜ?」

 この男こそが、自身の言葉に囚われている。寂しさをまぎらわすなにかを、得たかったのだ。そう行き着けば、すぐに許すことは出来なくとも、男の話を聞いてみたい程度の興味は生まれた。ヒトリ、ヒトリと強調する理由とは何なのだろうか。と。

「優しい女だと聞いていたが、とんだハズレだ」

 ふん、と腕を組んで言い捨てながらも、男の表情に翳りはない。

「よし、全部さらけ出させてやる。覚悟しておけ」
「言いたい放題すぎない……?」

 「愉しみだ」と伸びた手が何をしようとしているのか分からなくはない。避けることは可能だ。逃げないのは、この言葉と態度と感情とがちぐはぐな男を哀れに思ったからなのかも知れない。流れに任せるような手の動きが途端に意志を宿して、の顎をつかむ。この短い時間の中で唯一の彼の生の情は酷く冷たいもので、無理に合わせられた唇にはそのまま何ものらない。手負いの肉食獣のような警戒心を露にしながらも、ペロリとの唇を舐めると、無用だというように彼女の胸元を押す。

 どこまでも勝手なことをする、と不思議と怒りよりも納得ばかりするは、背を向けた男の後ろ姿を見えなくなるまでただただ見るほかなかった。



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