は少し困っていた。これが初めての事ではない。時間があるかと訊かれて、休憩の予定を宛がった。いや、確かに休憩はとっていた。これは、少し前から始まった一つの儀式で、気負う必要性の全くない、成功すれば嬉しいね、という程度のものだ。
大きな手が自分の手を軽く握りしめて淡い光を発している。彼からの魔力はいつも暖かい。
「オーディン。休憩して」
「もう少し」
魔力を持たない者に魔力を注ぐ。が知る例では相手に魔力が馴染み、受け取る側は僅かに強化されていた。が、やはり魔力など皆無の世界の出身である自分にはそれは適用されないらしい。元々小さな好奇心から提案しただけのそれに、オーディンが熱心になるなど思いもしなかった。彼から溢れた魔力は水のようにの肌の上を滑るばかりで内部へ染み込むことはない。ただただ無駄にオーディンの魔力が溢れるのだ。
空いた手で落ちるそれを手に取ろうとするものの、また滑り落ちてしまう。「もったいない」と呟かずにはいられなかった。
そんな実験の最中に一人の乱入者が現れた。背後から勢いよくオーディンに抱きついたのは、先日召喚されたばかりの少女の英雄だった。「父さん!」とオーディンを慕う彼女と面識はもちろんあったが、召喚された際にこの場所の説明をしたほんの短時間の事であって記憶も関係もまだ薄い。だが彼らは自分の知らないところで、交流していたようである。
「え、えーと、俺の娘のオフェリアです。世界線が違うけど」
「結婚してる世界線の子ね。なるほど」
この世界には同一人物が召喚されることが何度かあった、が彼らは少しずつ何かが違う世界線の人物だ。例えば性別が違っていたり、例えば伴侶の相手が違っていたり、例えば誰かが存在しない世界で生きていたり、実に多岐に渡る世界線がある。そうした事実は早々に自分に突きつけられていて、今さら驚くほどではない。
「髪の色、似てるね」
彼らが並んでいるのを見て、素直にそう思って言えばオフェリアは嬉しいのか、にんまりとした笑みを浮かべてそのまま父親の隣に腰を落ち着けた。
「偉大な力をその身に受けし者よ!あまりに強大なその力は貴女の中で暴走してしまうかもしれない」
「それは困るわ」
「案ずることはないぞ、オフェリア。魔力を制御する魔石を持っているからな」
あ、なんか始まっちゃった。とは思うが、面白そうなので黙っておく。そしてさすがはオーディンの娘なだけあってそっち系のノリがすこぶる良い。
ごそごそと自身のポケットを探るオーディンはテーブルの上に曰く【魔石】を置く。どっからどう見ても、トパーズだが水を差すつもりはない。もしかすると自分が知らないだけで【魔石】なのかもしれないのだ。
「俺の漆黒の力がお前の内に在る魔力を良く制御するだろう」
「え、選ばれし者、自らの魔力を……っ!羨ましい!父さん、私もほしい!」
「む、済まん。これは一品物で……」
「魔力を持ってる人間の方が効果が絶大なんじゃない?」
「や、さんを魔法攻撃から少しでも守るように作ってみたものなんで、貴女が持たないと……」
はい、と無理に持たされるのだが、非常に熱い視線を父子両方から向けられる。ものすごいプレッシャーを感じて、同時にオフェリアが目を輝かせるほど良いものを自分が貰って良いものか、と不安にもなる。もっと相応しい持ち主がいるのではないか、と。
相変わらず目を輝かせるオフェリアは、とてもそれに触りたそうにしている。顔にそう大書してあって、は苦笑いしながら彼女へ手渡す。「良いなー」と頻りにぼやいて、色々な角度から眺めている。それから「あ!」と思い出したように声を上げた。
「どうした?」
「この宝石、それに魔力……私、知ってる」
「オフェリアのお父さんも作ったかもね」
根本的な人間性がみな変わらないのは、この親子で証明されているようなもので、驚きはない。けれども──
「母さんの持ってる結婚指輪に付いてたわ」
「……それはまた」
「お、おおお、おふぇりあ!本当か?」
「嘘じゃないわ。母さん、嬉しいことがあるとその指輪を撫でていたからよく覚えて──」
「おやまぁ」
違う驚きはある。彼の厚意がそうした意図を持ってに由来しているとは考えづらいのだが、そんなことは関係ない。オフェリアから再びオーディンに手渡されたそれは行き場を失っているのが事実としてある。彼女の世界線の話だというのに、その宝石の意味が本来とは異なって伝わるのではとオーディンは意識せざるを得ない。
「オーディン……その、」
「ま、待ってください。さん」
無理しなくても。と逃げ道を用意しようとしたら他ならぬ彼が、上擦った声で遮る。明らかな動揺に憐れになってくるのだが、彼の行動を拒否するのはあまりにも酷だ。だから静かに頷いて、彼の心が整うのを待つ。そうすると先に行動を始めたのは、発端の種を蒔いたオフェリアだった。
悪戯っぽく笑みながら満足している。
あ、確信犯。
オーディンには悪いが、少し面白い。オフェリアはといえば、わざとらしく何かを思い出して、「約束してたんだった!」と慌ただしそうに立ち上がってその場を後にする。「父さん、がんばって」と聞こえたような気がしないでもないが、は聞こえないふりをする。分かりやすく動揺して、更にはこちらの様子を窺って。
「とにか、く……受け取ってもらえたら俺は嬉しくて、ですね……」
「うん」
「オフェリアの言葉、気にしますか?」
「多少は。でも本人の言葉が、ね」
言葉も、ましてや関係性もまだ望んではいない。そう決めているからか、オーディンは少しほっとした様子で、ただまだぎこちない感じで、再びへ石を手渡すのだ。その手はいつもより幾分熱い。
「いいお守りになりそ」
彼の魔力が物を介して自分に馴染むかどうかもわからないが、彼の気持ちは相変わらずくすぐったく暖かい。とても。
「ありがと。オーディン」
ふと漏れる笑みをは自覚していない。贈り物など初めてのことで、それが自分を慮ってのものであるなど、最高に恵まれている。
照れているのか、頭を掻いているオーディンがいる。ああ悪くないな、と思うのだ。純粋な想いは久し振りだ。いや、今までは自分ばかりが想っていて、少し疲れて想いは成りを潜めていたかもしれない──。思い出すとやはりくすぐったい。まるで少女だ。
「そんな嬉しそうにされると逆に……」
決意が、とモゴモゴ言うオーディンの言わんとしていることをは何となくわかってはいる。彼の思う通りにしてやりたい。そう思ってはいるのだけれど。
「喜ばせるオーディンが悪い」
あたたかい気持ちに蓋などするつもりはなかった。