いつもと変わりない夜だった。気の合う者同士、一人を好く者、新たな絆を作ろうとする者とそれぞれが声をかける、適度に賑やかなアスク王国の食堂でのことだ。
は何となく声をかけるタイミングを失い、一人飯というのは嫌いでないのもあってか隅で食事を摂っていた。それでも相応に仲の良い者が声をかけてくれば応えるし、少し離れたところから手を振る者もいるものだから完全な一人ではない。どうしても一人で、というものはやはり混雑しない時間帯を選ぶわけで、が選んだ時間は少し賑わいが落ち着いたころだった。何てことはない、戦闘疲れに知らぬ間に居眠りをしてしまったからだ。
「あ、さん」
「シャロン。お疲れさま~」
アスク王国の王女が人懐こい笑みを浮かべて立っている。あまり王族という感じがしない。むしろ妹のような人懐こさを感じさせるものだから、は彼女が嫌いではない。座っても良いですか、とご丁寧に尋ねる彼女に相席を許すのだが、そわそわしている。何か聞きたいことでもあるのだろうか、と特に急かしもせずに待っているのだけれど、そろそろ夕飯を食べ終えてしまう。これで席を立ってしまったら意地悪過ぎるかなと思い、はお茶を飲む。彼女はまだ口を開かない。
「隣、いいか?」
「どうぞ~」
あぁ、声がよくかかる。
そんなことを思いながら当たり前の返事をしていると、シャロンの顔が強張っていた。というより少し赤い。
「……シャロン?」
声をかけると慌てて返事をする。何て怪しい。恋でもしているのだろうか、と思わず疑ってしまうくらいの慌てっぷりにははて、と隣を見る。自分と食事を摂りたがる人間はそう多くない。まだこちらへきてそう経っていないが、それでもエクラは一週間に一度、多い時で二度の召喚術を行うものだから、陣営は順調に手狭になっていく。人の増えるスピードが早いのもあって、親交を深める相手というのはどうしても同じ戦場に赴く人間に偏りがちだ。そして隣に座る彼もそのうちの一人、ではある。自身がこの世界――アスク王国に来る前に居た世界を“烈火の異界”と称するようだが、同じようで少し違う“烈火”の異界からやってきた、ロイド・リーダスだ。召喚の時期が近かったこともあって会話の回数も多い。そして特殊な事情もある。
「そこのお姫さんはどうしたんだ?熱でもあるのか?」
「ロイドさんが来るまでは普通だったんだけど……」
色男め。
などと心の中ではつっこみつつ“変だねぇ”と答えて、はクスクスと笑う。ロイドは少し面白くなさそうに顔を顰めるのだが、そこから退くという選択肢は無いようで食事を始めた。と、シャロンが突然意を決したように固唾を飲みこむと、口を開いた。
「あの、お二人はお付き合いされているのでしょうか?」
思わず、手にしていたコップを落としそうになってしまった。素っ頓狂な声も下手をしたら食堂内に響き渡っていたかもしれない。隣のロイドはしかし一瞬動きを止めるだけに留めているから、冷静さを身に着けているだけのことはあった。はちらり、と隣のロイドを見やる。助けてくれ、というか、どうする?に近い。
彼女――シャロンの言葉は事実だ。しかしそういう関係になってまだ一月も経っていない。なぜ知られているのか、とも思うがそういう関係になった時、そういえば屋外であったことを思い出した。そして彼女は居たように記憶する。皆が自分のことに懸命で他人のことなど目に入っていなかったのでは、とおもったがそれはまさしく自分たちだけのことであったのを知った。
「の好きなようにしていいぞ」
「ずるくない?」
「優しくないからな」
喉の奥で笑う彼は意地悪さを表情におくびなく出している。そして食事を終えると空の食器を脇へ追いやり、肩肘をついてを見る。完全に傍観する姿勢だから人が悪い。ただ、もうそのやり取りでシャロンへは十分な返答になっていた。
「赤い髪の上官に何か言われたのか?」
「いえ!アンナ隊長には!」
「には?」
「その、女性陣からですね……さんの雰囲気が変わったと報告が来るものですから。それでその、先日、私、お二人が……その、見てしまったものですから……」
ごにょごにょ続けるシャロンの顔はトマトのように赤い。王族で、更には王国を救うことを一番に考えて生きてきた彼女には実に物珍しく、耐性などあるはずがない。そこを申し訳なく思いながら、全てに肯定することしかにはできなかった。ただ、軍内の規律が乱れるようなことはするつもりはないのは当たり前で、することについては時と場所をわきまえるのが大前提での関係だ。
戦いの中ではやはりこうした浮いた話は格好の肴になるようだ。夢のある話かどうかは個々人によるとは思うが、殺伐としたことばかり考えられないというか、苦しい中に何かしらの娯楽を見つけたいというのは自然なことに違いない。ひどい中傷や揶揄があるわけではない分、噂の的になることをは気にしていない。どうせ人は増え続けるのだから、自ずとそうした関係性は今後続々と出来上がっていくに違いない。重要なのはやはり軍の規律が乱れないようにまとめ役が基盤のルールを作っておくしかない。単純に自分たちはこれから生まれるであろう関係性を成就した第一号でしかない。
「ロイドさんが私のことが好きで仕方がないっていうから――」
「おい」
「とまぁそこらへんはご想像にお任せします」
はにっこりと笑う。戦うことは依然として続いていくのだろう。けれども、悪くない心地の中にいる。“彼”を忘れているわけではない。ふとした時に今の彼と違いを見出してしまうこともあれば、夢にすら見てしまう依存も顕在している。そうであっても尚、隣のロイドという男は責めるということをしない、むしろ頭を撫でてくるのだ。“彼”のように。重ねてしまっているのか、ただ心地良さに身を任せているのか、本人にすら解っていないのが事実で、けれどもそうした心の拠り所を得るのは悪いことではないはずだ。もちろん追々自身の心と決着をつけていかなくてはならないだろう。もしかしたら、自分の知る“彼”が召喚されうる可能性もある。そうした時のことも考えなければならない。
「さて、お姫さん。席を外してもいいか?」
まだ不安定な関係であることは他の誰でもない本人たちが分かっている。第三者が想像している絆を彼らは見出してはいない。
ロイドが得なくても良い許可をわざとらしく得たのは時間が惜しいからだ。彼は彼女のことをよく知らない。何が好きなのか、嫌いなのか、どういった生活を送ってきたのか、まるで知らない。なれそめを訊かれたところで答えられるほどのものがないのが事実だ。勢いに乗った自分を思い出すと不思議で仕方がないのだが、そこはおそらく彼女も同じで、悪くないと思っているのも同じなのだろう。
シャロンの上擦る声をよそにロイドは立ち上がったかと思うと、隣のの腕を引っ掴み立たせる。彼女を連れていくのは当たり前のことだ。
「じゃあシャロン。また明日」
「は、はい!おやすみなさい」
“今日ははどうする?”なんて会話をしながら食堂を出ていく二人に気の利いたことなど言えるはずもなく、シャロンはただぼーっとなすがままに見送ることしかできなかった。彼女が恋愛について思うところがあったかは分からない。ただ、割と幸せそうな二人に充てられた女性は数名いた、とのことだ。