すくいの小道

 あまりに面食らってしまったので、足は自然とそこに縫い付けられたように留まってしまった。
 天気はいい。春相応に新緑まぶしく、適度な日陰がある。今日はやや日差しの照りが強く思えたが、それは日陰が緩和していた。
 場所はとある東屋。散策が一つの楽しみであるが発見したのは白狼ロイドだ。一匹狼なんて言葉があるが、彼が一人の時などめったにない。弟、妹、友人、と彼の周りには人が集まることが多いのだ。

 うずうずする。
 彼との仲は悪くなかった。

 どうせたぬき寝入りだ、とは思っていて、それでも小さな期待に胸が膨らむ。自分の感知する限りでは雑音はなかった。足音がしないように、不意に彼に影が濃く差さないように、近づく。
 ベンチから足をはみ出させて、のんきに午睡に興じるロイドのそばにしゃがみ込んだ。
 彼は微動だにしない。

「眼福」

 “ロイドの顔が好き”というのは割とはじめに明言してもいたし、当の彼は笑っていた。きっと自分の話をしたからこその、彼の許しなのだろう。義賊をしているくらいなのだから、弱者には優しい。弟のライナスには「バカにしてんのか」と至極まっとうな反論を受けたのも懐かしい。
 触りたい。そんな衝動をグッと堪えるためにはこぶしを握る。彼の少し硬いであろう髪質は、
懐かしさを運んでくる。彼とは違う“彼”との抱擁はどうだったか。少し忘れていた。
 触れれば思い出す気もする。ただそうしてはいけない気もした。

 彼の意識が無いうちはいいか、と懐かしむ。触れもしないし、思い出の中の言葉のやり取りを口にするでもない。ただ思い出すだけだ。自分のためにそうしているのに、これが不思議と長く続かない。思い出でしかないと醒めてしまうのだ。5分も浸ればいいほうだろう。
 現実にもどるために、一つ大きく息をつく。薄ぼんやりと彼らが重なっていて、違うと頭を振る。いつもは馴染んでいる、耳につけた形見に違和感を感じて、後ろめたさと虚しさを上塗りしている。思うほどに違いを痛感して、恋しくなるのは道理に適っていた。

 あ、と思ったときには遅い。無意識に触れている。さわ、と少し硬い髪質が手のひらをくすぐる。まあいいか。となって無防備な額に唇を押し付ける。
 一瞬にすぎないそれが、自己満足ゆえか自分を落ち着けるのが分かる。「さて」なんて心の中でこの場に留まるのを止める区切りをつけた。
 僅かな時間しゃがんでいたに過ぎない。立ち上がるのが億劫なのはなぜなのか。億劫なだけでできないことはない。そして現金なもので、一度動きだしてしまえば残りの動きはスムーズにつながる。

 くるりと踵を返すことに、後ろ髪を引かれるような惜しさはない。もう意識としては移ろいでしまったからか、普段どおりに歩けばブーツの踵が鳴る。日常の音だ。気兼ねする必要はない。
 図書館に足でも運ぼうか。と考えてガクンと視界が揺れる。体のバランスが崩れているのがわかる。とっさに足を一歩下げてしまえば、事なきを得た。

「起きてたんだ?」
「ああいうことをしておいて、それはない」

 そうロイドは言うが、すぐに起き上がれる位には覚醒していた時間があったはずだ――目覚めがいいタイプと言われてしまえば何も言えないが。
 掴まれた手は相変わらずそのままで、離してと促すように目線を動かしても、ロイドは応えようとはしない。いや、彼女ののぞみとは裏腹に引き寄せさえした。

「ごめんね?」

 そうだ。馴れ馴れしいことをしてしまった。軽々しく触る理由はここにはない。が、やってしまった事の片付けは必要かもしれない。使い古している、けれど使い勝手の悪くないハンカチをポケットから取り出して、触れたそこにあてがう。

「そういう意味じゃないんだが……」
「よくよく考えるとヤバい女扱いされても仕方ないことをしてるなと」

 ぐ、と押すようにして拭く仕草にロイドはすぐ止めに入る。これで両手の拘束は完了した。

「ロイドさん?」
「逃げなきゃ離してやるさ」

 またまた冗談。なんて思いながら自身の手首を回して、するりと抜け出してみようと試みるは、彼が本気なのを知る。脱力してみせれば、手首を掴む力がゆるりと緩むのだが。

「逃げないって」
「目が合わない。鼻筋を見ている」
「そんなことまでわかる? ほんとに?」

 振りほどく疑いを持たれているのだろう、離れることはない。
 上っ面だけの笑みは役に立たない。困った顔も演技だと見透かされているのだろう。
 観念してはしばみ色の双眸を見やる。いつもの自分がそこに映り込んでいる。不思議なことはなにもない。



 名前を呼ばれて、返事をする間もない。ロイドに抱きついている。抱きつかざるを得ない状況に追い込まれていた。

「お、おにいさん。確実に誤解されます」
「先に手を出してきたのはだ」

 そうだ。そうだった。この人はやられたらやり返すのだ。普段と変わらない声音ながらにわざと耳元で囁くようなら、それは彼の意趣返しにほかならない。

「こ、こしが痛いなー、なんて」
「乗ればいいんじゃないか?」
「体がくっつくじゃん?」
「ほら」

 膝に乗らされると待ち構えていたように背中に手が回る。ぎゅうと彼に抱きしめられるのは初めてだ。体が固まる。

「ロイドさん! っ、ちょ、恥ずかしいからストップ!」
「ストップ? ああ、喜んで」
「わ、分かっててやってる!」

 力は緩まない。
 酔っ払ってもいないのに、こんな悪ふざけもするのか。と正直驚いている。異性に気軽に手を触れる
ようには見えない。でも――少し自分の知る人と似ていて嬉しい。

 顔を覗き込まないでいてくれるのは、気遣いだったのかもしれない。厚かましくもそれに触れ、乗る。
 しかと抱きしめる腕に熱いものが込み上げてきて、堪らなくなって彼の頬に唇を寄せている。

「負けた……」

 悔しくてごちたものの、喉の奥で笑われるだけだった。

額なら友情
頬なら親愛


2021/05/10

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