「うーん。甘い。おいしい」
薄い黄金色をした、少々不格好な小さな塊を口の中で転がしては思わずそう漏らした。材料は至ってシンプルな砂糖と水で、熱を加えて冷やせば立派な飴。懐かしい味だ、と思った。
白夜の国は、の世界の食文化と通ずるものがある。同じものもあれば、少し違いながらも似たものもあって、それらはみなの愛郷心をくすぐった。ただ、ひとつ残念なことがある。好きな料理があったはずなのだ。が、自分は10代の半ばで異世界へとんでしまったものだから、色々と知識量が軽い。食材の名前もわからなければ、もちろん調理の仕方もわからない。エクラに訊いてみたが、なにぶん自身の記憶もおぼろであったから、不明瞭な説明を解読するには至らなかった。そうして色々と説明という名の相談の最中、ふと思い出したのがべっこう飴だった。……たしか同居の祖母が教えてくれた。大好物というほどではないが、手軽に作れる自分の世界の自分の料理というのが嬉しくて、は月に何度か作っている。これも白夜に似たものがあるのだが、自分で作れるからなのか、より強い愛着があった。
「何を食べてるんだ?」
そろそろやめようかな、決めて口に放り込んだところで声をかけられる。危うく喉を詰まらせてしまいそうなところで、軽く咳き込んでしまう。事の原因であったその人はやさしく背中をさすってくれるが、呆れた顔というのには納得がいかなかった。「大丈夫か?」の言葉もどこか白々しく聞こえる。けれどもは何事もなかった風を装う。あまり無様なところを見せたくない、彼女なりのプライドだ。返事の代わりに小さな咳払いがあった。
「どうしたの?」
気を取り直しては問う。ロイドは軽くかぶりを振るだけだ。理由などそこにはない。「見かけたから」との返答はおそらく本当なのだろう。
「うまいのか?」
「まぁそれなりに」
「じゃあなんでそんなしかめっ面で食ってるんだ?」
きょとん。
は言われたことが理解できずに面食らう。おいしいと思っているのは確かだ。シンプルでどこか懐かしくもある。とん、と眉間を人差し指が突く。
「跡が」
「うっそ!?」
「ついてない」
「…ロイドさん」
時々、ロイドはこうして子どものようなからかいかたをしてくる。これが自分に合わせた結果なら、彼にとってそう見えてしまっているのだろうか。
なんとも言えない気分だが、ロイドには関係ないようで小さく喉の奥で笑う始末だ。
「一つもらってもいいか?」
「…どーぞ」
思うことは色々あるが、同じ土俵にたっても負かされるのは目に見えている。躍起になるほどのことではない。とはロイドの前に小皿を差し出す。そうした努力すら彼を笑わせるようだが、もう気付かないふりに限るのだ。
到底、彼には似つかわしくない物を食べているなぁと率直に思う。偏見ではない。が、甘いものを好んで食べている男性が、の頭のなかには一人しか浮かばない。高級菓子には遠く及ばないが、時々甘いものを分けてくれる人物で、気持ちとして返礼はしたい。そんなことをロイドが飴を口に運ぶのを見て思ったのだ。
「」
穏やかな口調で名を呼ばれて、声を発するよりも先に目で答えた。というよりは、声を発する暇などなかった。
太い腕が明確な意思をもって巻き付いてくる。ぐ、と力がこもれば置物のように自分の体は彼の思う通りになってしまう。息を飲むほどの距離にのけ反るのがかなわなかったのは、後頭部にいつの間にやら大きな手がまわされていたからだ。ちゅ、と唇が合わさる。かと思えば熱い舌が唇を割って、彼の口内の味を伝えにきた。自分の中と変わらないはずだ。なのにやたらと甘い。おいしい。
「ん、……」
甘く味つけられた唾液が喉を潤す。ごくり、とえんげの音が響いて初めて、思考を奪われていたことに気付く。夢心地にもさせられていて、現に戻ることができたのは、何度となく繰り返されていた口付けがやんでからだった。
ぺろり、とロイドが自身の唇を舐める。そのさまをぼーっと見ていた。他意はなかった。
「甘いな」
「……まあ、飴だから」
距離が近すぎる。刺激が強い。と、腕を突っぱねようとすると、ロイドの腕が固くなる。いつのまにか乗せられてしまった彼の膝からもおりられない。
「まだ味見が足りない」
「お、お皿の、全部あげる」
「そりゃ太っ腹だな」
彼の問にわざと頓珍漢に答えて見せるのは、まだ明るいからだ。背中の筋を人差し指が悪戯に撫でる。びくん、と反応してしまって、意識した自分を恥じては体温を上げる。やばい。マジだ!正直、焦っている。
「ロイドさ、ん……甘やかさないで」
「甘やかしてない。俺がしたい」
「っ、せめて夜までさぁ……」
「いいぞ。それでも」
しまった。これは墓穴だ。は言い直そうとする。できない。「」と、やはり穏やかに名を呼ばれて阻まれている。言葉では「それでいい」なんて言っておきながら、一向に放してくれないのだ。はぁ、と諦めが口から漏れて肩口に頭をのせる。そしてようやくロイドの腕の緊張がほぐれるのだ。
分かりやすいなぁ。つい気持ちも口元も緩むが、きっと見えていない。
求められるのは嫌いではない。体を重ねるのもそうだが、甘やかされるのも好きだ。ただ、素直に受け止められないのは一方的な情によるかもしれない。タイミングを掴めていないのか、ほぼ毎回といっていいほど与えられてしまう。充分すぎて怖い。今この時ですら、ロイドの大きな手が背中を撫でる。そこには劣情も含まれていたとは思うが、多分に含まれる別の情もまた彼の掌からよく伝わっていた。
「そろそろ離れてくれないと本当に襲うはめになるんだが」
不意に頭上からそんな言葉がふってくるのと同時に、背中を撫でる手が止む。なんて勝手なことを言うんだ、と思わず腕を突っぱねてロイドの顔を凝視した。
「……しらじらしいね」
酒も飲んでない。素面でなくとも自制できる男の戯れ言だと気付く。別にわざと顔を見せなかったわけではないのに、やっと顔を見せた体の反応をしてくるなんて。それでもこの榛色の瞳のせいで何も言えなくなる。不思議な色合いに慣れる時間は充分あったはずなのに、未だに惹かれてしまうのだから参る。
「の話が聞きたい。色々とな」
「イロイロ、ナンダロウ」
当たり前のように触れようとした形の整った口を押さえれば、ちくりと無精髭が刺さる。痛くはない。掌から確信したように唇が弧を描くのが伝わる。こうなると強い拒絶をみせない限り、彼が引くことはない。このあとに大切な用事がないのを誤魔化すこともできずにいる。
どこか掴めない。そんな涼しい双眸が崩れることはない。少し低い位置から、じ、と見てくる。当に答えを得ているのだ、彼は。自分の望むそれを。
軽く掌に吸い付いてくる感触がある。音はわざとなのだろう。同時に手首を捕まれて呆気なく形勢逆転だ。もともとなにも変わっていなかったのかもしれない。
手首を掴む大きな手が力を入れて促してくる。痺れを切らしたのか、いつになく強引でもある。
「しょうがない。味見されてあげよう」
「味見で止まればいいな?」
ぞわりとした。榛色の瞳はいつも通り優しい形をなしているのに、奥に野性味のある光を宿している。気を良くしないわけにはいかなかった。