少し面白くない。はそう思っていて、自身の顔にもおそらくその感情が貼り付けられていたのだと思っている。いつもなら少し勇気のいる入室の儀式であるノックに、今はなんの抵抗もなかった。
まだ多くの者が起きている時間帯で、男性の宿舎にが足を踏み入れると自然と注目が集まるが、当初に比べると俄然楽になった。今はもう目当ての人物をどこそこで見た、なんて情報さえ与えてくれる――それほど彼女らの仲は公認となりつつある。
「どうした?」
自身のささくれた心とは真逆な、穏やかな声が出迎えた。いつものことだ。室内を彼越しに窺えば、当たり前だが同室の弟がいる。が、こちらはお呼びではない。出来れば席を外して欲しいのが本音ではあるものの、それはあまりにも傲慢であるし、おそらくロイドも弟を無下に扱われるのは好きではない。
いや違う。
押し入るように部屋へ足を踏み入れれば、拒否する理由はないとロイドは呆気なく後退して入室させる。そこにが後ろ手にドアを閉めて、とするのだから、連携してるのかとも思えるその流れを見て、既にライナスは自分が邪魔者であるのを理解せざるを得なかった。が、今日は二人きりにさせてやろうとは思わなかったので、居座り傍観者となることを決め込む。そもそもこの二人は自分の事を気にしていないのだ、問題はない。
「充電させて」
ぼそりと呟くそれは、電気のない世界の出身であるロイドには初めて聞く言葉であったが、同時に抱きつかれてしまえばその言葉の指す意味というのは自ずと理解できる。
彼女は――はさほどベタベタしてくる女ではない。遊びの一環で絡んでくることはあっても、こうして感情的に触れてくることはあまりない。そうした雰囲気を作れば、また自分からそう動けば応じるのだが――なんの心境の変化なのかは、ロイドには分からない。
しかし、さて、どうしたものか。
ロイドは考える。ライナスに言うのは簡単だ。が、そうした雰囲気にはおそらくならない。もともと弟がいても構わないという部分があるのだ。ちらりと弟を見れば肩をすくめている。勝手にしろということだろう。
「座るか?」
そう声をかけながらも相手の返事を待たずにその場に座り込む、と異論はないようでは尚も体勢を崩さない。顔を見られたくないのか、余計に顔を埋めてくるからロイドは好きにさせる。考えてみて、掛けてやる言葉が見つからないのだから、無難に背中を撫でるにとどまった。
まったくおかしな話だ。今日の午前の時点では彼女はいつも通りで、もちろん特別な何かがあったという話も聞いてはいない。四六時中行動を共にしているわけではなく、知らぬ間に、があり得るのは承知しているとしても、こうした来訪には戸惑うくらいには彼女の事をまだ理解できてはいない。
恋人らしいことは一通りしているとはいえ、ただそれだけだ。彼女の葛藤もあるだろう。何せ彼女は自分達と違い今はまだ失いっぱなしで、時間薬を考えても短い――まだ彼女は自分に惚れてはいないのだ。
「よし。満足した」
言って、は体を離そうとする、当たり前のように。体よく扱われていると思わないが、ロイドにも色々あった。
「それは薄情過ぎないか?」
だからロイドは彼女の体を繋ぎ止めようと腕を回すし、何時もの調子を戻したように見える彼女をからかいたくもなって、耳元で囁く。するとその耳を押さえて、は勢いよく片方の腕だけて突っぱねた。思いの外、正直すぎる反応に笑ってしまうが不可抗力だ、仕方がない。彼女が顔をしかめる十分な理由となるのもわかっている。
「ロイドさんは性格悪い」
そうは言っても事前に優しくないことは伝えていたのだから今更だ。その不満に何と答えようか。しばし俊順するが、何も思い付かない。どう捉えられても構わないからかもしれない。
探るような視線を向けられて、ロイドはいよいよ言葉が見つからない。かといって、後ろめたさがあるのかと言われればやはり皆無だ。
が押し退けたから、とロイドは上体を反らしてわずかに距離をとる。彼女の出方を見るためだ。
「」
「ちょっとした嫉妬ですごめんなさい」
「お前が?」
理由を聞くよりは、表情をころころと変える様を見てみたかったがそれはそれで興味深い。だからそれは行動と成った。
「まさか含みを持たせて逃げる、とは言わないな?」
「え!?どこに含みがあった!?そのまま受け取れば良くない?」
「これはなに」と放っておけば間違いなく逃げ出す彼女の手を掴んだことをおそらくは言っている。ようやく見せたのか見えたのか、知りたいことに偽りはない。彼女が自分が漸く吐き出した情のさわりだけしかまだ教えるつもりはないとしても、興味があると伝えるくらいは――最終的な決断は結局は彼女によるのだから。
「ムリムリ!」
「それは残念だ」
「そういう顔もダメ」
「好きなんだろ?」
「分かってやるとか性格悪いね!」
「承知の上だったはずだ」
あっけらかんとして、使えるものは使うものだとロイドが言えば、納得できるのかは反論の言葉が見つからない。ぐう、と彼女は確かに詰まった。
「癒されに来たのに何でからかわれてるの?おかしくない??」
至極、承服しかねると顔を歪める彼女は身動いで逃げようとする。何だかおかしくてロイドは手を離した。無理に聞こうとはもちろん思ってはいない。彼女がどうしても話したいことであれば、必ず教えてくれるだろう。昔の男のことを話すのは気が引けるだろうに、他意もなく訊ねれば彼女は割と答える。少し嫌そうに、少し懐かしそうに、そして優しい声音で――。
「ほら、行って良いぞ。機会があれば聞かせろよ」
まだ少し警戒を残した体であるからか、の動きは慎重だ。なにもしない、と両掌を上げて見せて、やっといつもの調子だ。もう手は届かない。
希望を口にしても彼女からの回答は得られず、あるのは不審者を見るそれだからロイドはやはり小さく笑う。これが、相手の気を悪くさせるものだと知っていても止まらない。
「好きだぞ、」
軽い言葉だとは本人が一番解っている。それでもそこに偽りはないつもりで、おそらくにも伝わっている。
流せばよいものを真正面から受け取って、固まる彼女はそうしたことに不馴れだったのかもしれない。かといってロイドはどうなのかと訊かれると、経験がないわけではないが、こうしたやり取りをする間などはなかった。あくまで女性経験の話でしかなく、甘ったるい関係は家業を思えばあるわけがないのだ。実に簡素な欲求に忠実なものが当たり前だった。
「ちくしょう!私も大好きだよ!おやすみ!」
やはり気を変えて、と思った矢先だ。そう自棄に叫ばれて出て行ってしまうのだ。止める間もなく。何をどう我慢すれば良かったのか、もう解らない。
「兄貴……意外と性格悪ぃのな」
「責任持てるならちょっかいくらいは許してやるぞ」
「狼の執着心は怖ぇからやめとくわ」
開けっぱなしにされたドアを兄自らが閉める。その顔に逃げられたという思いは無いようで、この時初めて、ライナスはを心配した。