「。たまには手合わせでもしてみるか?」
唐突な申し出にはまじまじと相手を見て、次に眉間に分かりやすく深いシワを作った。何を言ってるんだ、という表情は例に漏れず
「それなんていう罰ゲーム?」
実力の差は月とすっぽん。何かを得られるような能力は悲しいことにない。職種こそ彼と同じものだが、突出した特徴はない。それが仮にの能力を引き上げるための鍛練であっても、それはもっと才能のある英雄とするべきではないかと思っている。自身、自分に戦闘に関するセンスがあるとは微塵も思わない。剣を取るようになったのですら、野生生物から身を守るためのものだったのだ。良くても担えるのはサポートといったところかもしれない。
ビシッ、と音が立ちそうな勢いで指さすにロイドはたじろいだ様子を見せることはない。
「俺はお前の実力を知らないからな。単なる好奇心だ」
そして至極当然のことを言ったまでだというのだからロイドという男は食えない。そもそも、実力のある人間、それもそういったものに天才的なセンスを持つ者は、刀を交えずとも実力を見極めることは可能だという。天才的な能力など自分には欠片もなく理解に及ぶことはないが、何となくその理屈は理解できている。それほど、そうした才能のある人間の他者との差は歴然としているのだ。
じ、と彼は望む答以外は受け付けないとでも言いたげに自信に満ちていて、それは"彼"と違わない。個人の意見としては鍛錬に付き合ってもらうと思えば可能だとは思っているが――何となく嫌な気分になるのも確かなのだ。
「お前が兄貴に勝てるなんて誰も思ってねーよ」
どう返事をするべきか考えあぐねていれば、第三者の茶々が入る。あぁ、そういえば。なんて存在を思い出して“第三者”を見やれば、なんともぶっきらぼうに「見んな」の一言が投げられるのだから、堪ったもんではない。保護者であるロイドを見ても彼は自身の問いに対する答えにしか興味はないようで、と目が合ったところで答えを促す素振りしか見せない。
「…あー、夜の仕合で手一杯なんで遠慮しますねー」
夜の生活が得意なわけではない。ただ、ロイドが面食らって、ライナスが動揺すればそれでいい。そんな浅慮ともいえる思いで発した返答に、彼女の希望は早々に達成されるのだけれども――
「うっわ、身内がいるのにそっちにもってくなよ。なあ?兄貴」
「だがまぁ俺は女に淑女でいてほしいわけじゃないからな」
「情熱的なのはなによりだ」と、彼にしては珍しくニッコリと笑うから、は選択を誤ったことに気付く。呆気にとられているうちに退散する予定だったのに。
わざとらしい音を立ててロイドが立ち上がる。怖い、怖いと張り付いた固い笑みからは気持ちが駄々漏れに違いない。
「さ、さー!明日に備えて寝ようかなー!」
「ライナスには少しばかり散歩でもしてもらうか?」
「いやいやいや!ライナスが風邪引いたらーー」
「俺はそんなやわじゃねぇぞ」
「ちょっと黙って?」と2方向からくる災いのうちの1つを制してみるものの敵わない。
「明日のお仕事に支障が出ますよ?」
「心配するな。自分のことは自分が一番分かっているからな」
「ですよねー」
あぁ、反応など見ずにさっさと部屋を出るべきだった。と後悔しても遅い。近寄る顔が悔しい程に整っていて、は息を呑む。はしばみ色の瞳から人の悪さが滲み出ている。もう何度となくキスはしているというのに、不意打ちでなくともこうして意識を彼に集中せざるを得なくなると、どうにもむず痒い。こうなると彼を負かす言葉など出てこないのだ。
溜息を一つ。そして、自ら伸ばした腕は難なくロイドを捕らえた。太い首に回した腕に力を込めれば意のままだ。触れ伝わる体温と、自分とは違う匂いが心地よい。すん、と匂いをかぐように首筋に顔を埋めると、それは彼の望む答えであったようで微笑が浮かぶが、が見ることはない。
「おいおいウソだろ。この寒ぃのに外うろつけってのかよ」
「ロイドさんが悪いから仕方ない」
「自分の女に誘われたんだから仕方がない。許せ、ライナス」
到底、謝罪の気持ちなどこもっていないように見えるのだが、悲しくも彼らは彼らの世界に入っている。ライナスとしてははやはり胡散臭い女という印象を拭えてはいないし、ロイドに対しても正直なところ女にかまける姿など見せてくれるなというところなのだが――兄の笑う姿は昔を思い出す。何だかんだで良かったと感じるあの頃だ。
「二時間しか譲らねぇからな」
ライナスは言って、外套を羽織る。それから律儀に二人に時間をくれてやるのだ。割りを食うのはいつも彼だった。