彼は少々むず痒く感じていた。大したことはしていない。なのになぜこうも彼女の興味の対象となってしまっているのか──。本人に問うのは至って簡単だ。知らない仲でもなければ、むしろ親しくある。家族のような存在ともいえる彼女に訊ねることをしなかったのは実に簡単だ。
まず手元にある本、これは仲間の一人に押し付けられるようにして借りたものだ。本を読むことが好きかといえば好きであるし、そうでもないといえばそうだろう。それが持つ魅力に大いに左右されるわけで、まぁ簡単にいえば読む気になったのは気が向いただけの話であったし、そして思いのほか面白いかもしれないと思わせる内容だっただけの話だ。そう早くない頻度でページをめくる折に視界の端の彼女の様子を盗むように伺えば、これがまた聞きたいことがある様相でないのも一因ではあった。そのうち穴があくかもな、などと彼なりの冗談を心に留めながら再び本へ興味を移すと、静かな時間がゆるゆると流れ始めた。
室内にはロイドのページをめくる音が時折響く。それ以外の音といえば冷たさを含んだ秋風が窓を鳴らすくらいで静かなものだった。
「ロイドさん」
どれほど経ったのだろうか。ハッとしてしまうのは本へ没頭していたからだろう。右手の人差し指は読み始めたページに差し込んだままであったから、その上に重なる幾重のページは本の3分の1ほどか。読んだ量と、没頭した時間を認識すると肩が強張っている気がした。首をぐるりと回し、同室にいたらしい彼女に表情で答える。と、彼女は仰々しい溜息を吐いた。
「また随分な態度だな?」
本当に彼女はずっとこの部屋で飽きることなく自分を見ていたのだろうか?それが本当なら半ば感心もしてしまう。手持無沙汰に時間を持て余すなどもったい、とロイドは思う。自分なら訓練の一つでもと思うが、あいにくと彼女は戦闘メンバーではなかった。そもそも彼女は──
「私、なんでここにいるのかな?」
──この世界の人間ではない、らしい。
らしい、というのは違う世界からやってきた彼女、ではあるがそれを証明する術はない。術がないのは彼女が元の世界へ戻ることが出来ないことでもある。いや、広い世界には奇特な人間が幾らかいて、その幾らかの中にまたそういったことへの興味を持つ学者がいるかもしれないが、そうした情報はあいにくとロイドたちが居る組織には流れてくることはない。彼が耳にする情報の多くは国の情勢や、どこそこの領主の無能さといった民衆の嘆きの声が多い。だからいつも彼女の疑問に答えることは出来ない。
「さぁ、どうしてだろう、な」
テーブルに置いてあった栞をはせ、パタンと本を閉じる。
下手な同情は何も生まないし、下手をすれば相手を苛立たせてしまうことを知っている。人からすればロイドの返答は冷たいものに分類されたかもしれないが、は“だよね”と同意した。椅子の背もたれに腰かけ、にこりと笑う彼女に悲哀の色は見えない。慣れてしまったのか、隠しているのか、おそらくそのどちらもが複雑に絡み合っている。
出会った当初から少しそんなところはあった。知らない場所にやってきた、それは天涯孤独といっても過言ではなく、素の自分をさらけ出すというのは容易ではないのかもしれない。それでも少しずつ彼女という人間を知ることが出来、関係というのは築けていたはずだ。少なくともロイド自身はそう思っていた。自負すらしている。まだ打ち解けあえていない……とは思わないが少し物悲しい気分になったのは否めなかった。
定期的に孤独を感じてしまうのは仕方がない。かくいうロイド自身も時折孤独を感じる。それは寂しいというものではなく、個人を認識という意味での【孤独】なのだが。彼女は女性で、理性的なそれではなく感傷的なものを感じていても不思議ではない。
そしてこれから自分がすることは一時の逃避で、単なる気分転換だ。それでも彼女の無感覚な双眸に色が燈るなら──。
「」
名を呼んだ。任務の時のように張り詰めた声音ではなく、家族を呼ぶそれだ。
「うん」
ロイドの意を解したようにの口元が緩んだ。次いで“ありがとう”と返事があって、さも当たり前のように彼女は立ち上がる。テーブルの上で手を滑らせながら、子供のような照れ隠しをしてみせ、スススと彼の側へ。その手は考えあぐねた、というのは建前でロイドの腕を伝い、肩へ。応じてロイドが彼女の方へ体を向き直ると同時にが抱き着いてきた。その体を強めに抱き返す。グッと声が上がったのは聞き間違いではないと思うが止めてくれと叩かれでもしない限り緩めるつもりはない。そこまで加減が分からないわけではないと彼は思っている。
「は~、落ち着く」
「それは良かった」
魔術に長けていない、ただ家族のようなものでしかない自分はそうすることでしかの支えにはなれない。この世界で、などと無責任なことなど言えるはずもない。偽善のような束の間の心の弛びであれど、ただただ心から願う。
きみに幸いあれ──。