伝達の回路

 
「またお前は……」

 心底げんなりとした。と言わんばかりに盛大なため息をもらすライナスは、の襟首をむんずと掴んでいた。夜の挨拶からの華麗に素通りする彼女の行動を、彼は許さない。
 蛙のような声を出す恋人に、なぜそういう関係を結んでしまったのかはなはだ疑問に思いながらも、彼が力を緩めることはない。

「ちょっと散歩するだけだって」

 喉元を押さえるが苦い笑みを浮かべるのは、こうしたことを何度か繰り返していたからだろう。

「ほら。アンナも同じ国に召喚された英雄は傷つけ合わないって言ってたし」
「他国の間者が忍び込んできたらどーすんだ?それこそ俺らみたいなのが」
「死ぬね」
「そのガバガバの危機感をどうにかしろ」

 確かにこの城は安全かもしれない。だがそれは今までの話であって、これから先もずっとという確約などありはしない。そんな事が分からないはずはないだろうに、はそういうことに楽観的だ。

「それにしてもよく見つけられたね?」
「向こうから見えたぞ」
「ええ! ちょっと目が良すぎじゃない?」

 だから彼女はどこ吹く風といった様子で、どうでもいい事を聞いてくる。それにライナスは毒気を抜かれて、バカ正直に答えてやるのだ。
 ライナスが指さした先は、からゆうに100メートルは離れた位置にある見張り台へ続く渡り廊下だった。月明かりと、所々に置かれた松明くらいしか明かりがないのだが、彼はそこで自分を見つけたという。夜目が利くのかもしれない。

「顔じゃねぇよ。体型、歩き方、色々あんだろ」
「その筋の仕事人みたい」
「みたいじゃねえ。そうなんだよ」

 ライナスには、が自分のことをよく知っているという先入観がある。だから時々こうした頓珍漢なやり取りに首を傾げるのだが、深く考えてはいない。

「で、どーすんだ?」
「うーん、曇ってて星も見えないから戻ろうかな。
 カードでもする?」
「お前弱ぇじゃねぇか」
「神経衰弱はいい勝率だと思うけど?」
「言ったな?」

 ニヤリ。笑って、今は楽しければいい。



 

「ほーら。神経衰弱なら私のほうが強い」
。お前さっきカードを入れ替えただろ」
「まさか。たまたま手で弾いちゃっただけ〜」

 そして今、楽しいかと問われたら、ライナスは否と答える。子供向けのゲームでもあるそれに腹を立てるのは馬鹿らしいと理解していても、【負け】は好きになれない。

「で、何を出せばいいんだ?」

 高いのは無理だぞ。と先言だけして持っていたカードを、場にしていたベッド上へ放る。それらを混ぜこぜにして容れ物に戻すに意地の悪さは見られない。
 子供の遊びに興じながらも、大人の遊びを加えるのはいつものことだった。

「いざそうなると……うーん」
「決まってんだな?」
「まぁね」

 呑気な口調だ。カードをサイドテーブルの引き出しにしまい、向き直る彼女は……なんだか照れくさそうで、伝染する。こんな時はイヤな予感しかない。それでも気になるのだから、人間の好奇心は侮れない。
 促さないほうがいい。そう分かっているのに「早くしろ」と、考えるよりも先にもう言葉が出ていた。



「キスしたい」

 困ったように笑ってが言った。
 ライナスの予想とはかけ離れている。理解不能と言わんばかりに彼はを凝視した。そういう雰囲気になればキスなどしている。昨日だって別れ際にはそうして挨拶をした。

「ジロジロ見ないでよ。恥ずかしい」

 とはいうものの、突拍子のないことを言った自覚はあるのかもしれない。呆気にとられるライナスを前にして、の顔はやや赤い――かもしれない。
 正直なところ、彼女に甘えられるとライナスはどうしたものかと困ることのほうが多い。一人の異性と深く付き合ったことがないのが一つだろう。元々女と添い遂げるとか、そうしたことを考えたことはなかった。今でもそうだ。と付き合ったものの、添い遂げたいのかと問われるとよく分からない。が、一緒にいる分には不都合なことは何もない。

『そりゃお前……ズルくないか?』

 ただ、つい最近、兄だか友人だかに言われたことを思い出した。

「ライナス?冗談だから……聞いてる?おーい」

 言いはしたものの思った以上に反応がないことに、は参ってしまった。考え込んでいるのか、呆れ返っているのか。いまいち掴みきれず、なかったことにしてしまえと言うものの聞こえてはいない。顔の前で手を振ってみるものの、心ここにあらずのままだ。
 そこまで変なことを言ったつもりはないと思うのだが、まぁ彼から見た自分とはそういう人間なのだろう。寂しいというよりは、やっぱりかという納得がある。
 ねぇ、と指でライナスの頬をつつく。女性のそれと比べてまったく柔らかくなく、弾力もそうなくてつまらない。
 と、がし、と掴まれた。

「俺で遊ぶな」
「あ、もどってきた」
「調子狂うんだよ、お前は」

 ライナスの想いは――読み取れない。不機嫌そうにも見えて「怒った?」と訊けば短く否と返答がある。

「怒ってねぇって」

 それが確かな答えだというように、ライナスは繰り返す。変なところでこの男は律儀なのだ。

「ライナス」

 両手を伸ばして、先程の言葉の是非を問う。また考えこむのか、それとも嫌だと言うのかと思えば、どれも違う。ずり、と体を寄せてきて、太い腕が肩を抱いた。

「見んな。目ぇ閉じろ」

 それは彼の譲歩だったのかもしれない。だとしても堪らなく嬉しいのだ。
 彼の言葉通りに目を閉じる。続いてくる何も見えない不安と、待ち遠しさ。甘やかしてほしいというよりは、自身の願いが叶う充足のほうが大きい。
 何も見えない。代わりに際立つ雑音が現実を運んだ。

「ふ……ンっ」

 鼻から息が漏れる。気配に身構えて、す、と唇が押し付けられている。
 合わさるそれが、熱く吹きかけられる吐息が、それだけで良いのに――そうした刺激がなくなった瞬間に全てがなくなるような、幻にも似たうら悲しさがあった。

「なに泣きそうな顔してんだ?」

 言葉が詰まる。

「ライナス」

 大きな手が頭を抱え寄せてくる。と、

 ぷつん

 何かが切れて、ぶつかる瞳に意思は疎通していないかったかもしれない。

「好き」
「あ? な……ん?」

 一方的な思いの丈が勝ったに過ぎなかった。

「ライナス」
「……っ」

 上唇を甘く何度も食む。音を立てて。甘ったるいような幻味すら湧いて、なお惜しくて堪らない。
 押し倒してほしい。そんな望みにかけて彼の大きな体に腕を絡めている。
 何度も何度も名前を呼んで、伝わるのはどれほどのものなのか。
 唇を割って舌を潜らせると、ライナスの体が震えた。そういえば自分からは初めてだったかもしれない。さすがに一度にねだりすぎか、と味わいも中途半端に、絡めていた腕の力を抜いて顔を離す。存外、我に返ることは容易い。そして勘違いでなければ、何で止めるんだ、と彼が不機嫌なことが判る。

「生殺しとか性格悪ぃ……」
「私からするとイヤかなって」
「ここまでしといて、やめられる方がイヤに決まってんだろ。普通」

 ごつ、と強めに額をぶつけられる。地味に痛い。更にそのまま前のめりに体重をかけられては、彼の大きな体を支えきれるわけもない。後ろへ倒れ込んだ拍子に手首を掴まれて、甘く噛まれた。

。伝わってるから安心しろ」

 夜は長い。

唇なら愛情
手首なら欲望


2021/05/15

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