「おい。なんでそんな我が物顔で俺のベッドに寝転んでんだよ」
部屋に戻り、自身のベッドを見てライナスは盛大にごちた。大きなベッドに反して小さい体ではあるが、主のようにしてが寝そべっている。昔は妹もベッドが広いと喜んで遊んでいた。それを思えば別に構いはしないのだ。ただ脱力したに過ぎない。
声をかけても、うんともすんとも言わない。読書に耽っているのは分かる。ライナスは、羽織っていたコートを脱いで、ばさりと投げた。の頭に。もちろんわざとだ。もぞ、と彼女からしてみれば大きすぎるコートの中で身動ぐその体を、コートの上からベッドへ縫い付ける。膝で押さえれば手は使えるのだ。と、頭は出してやった。
「本がシワになる」
「そっちかよ」
言葉だけのごめんが聞こえる。許す許さないはどうでもよく、の動きに合わせて、ライナスは体を起こす。もともと、寒いからと部屋で待たせていたのは他ならぬ自分だった。
「何読んでんだ?」
「召喚についてのなにか。難しくていまいち分からないけど」
ライナスが座り直した横に、がちょこりと座る。その頭の上に腕を置けば、何を思ったのか読んでいたページを開いて見せてきた。ライナスもその手の類は得意ではない。字がミミズのように見えてしまう。はなから頭が拒絶している。
そんなことよりもだ。
「おまえ、帰りてぇの?」
もしかするとそれはエクラの仕事を手伝う上で必要なものだったのかもしれない。何を聞いてるんだ、と思いながら聞かずにはいられない。まだ彼女を信じきれてはいない。
「もうムリでしょ。でも、おばあちゃんになるまでには巡り巡って帰れるかも?」
「帰れるかどうかじゃねぇ。帰りてぇのか?ってことだ」
たしかに問に対する返事ではなかった、とは思ったのか悩む所作をする。それも、だいぶわざとらしいやつだ。
「どうしてもじゃないし。今はここに根を下ろしてるからなぁ」
ここがいい。そう続けるは、本に目を落としたままだ。声音が嘘を言っていないことは何となくわかる。同時に表情を見られない故の不安があった。不安要素の一つであるそれをちらつかせられているのだから、当たり前か。今はまだ手段が確立していないがための言葉だとして、その手段が確立したときに心変わりしないとは言いきれない。
ああ、カッコ悪ぃ。
「おもい」
「あ?……ッ!」
ずり、と視界がブレる。の頭の上に乗せていた腕が重かったらしい。窺うように見上げる黒い瞳が、わずかに細められている。そこに釣り上がる口角があって、わざとそうしたのだと分かる。
ふ、と気が抜けた。
「なぁ」
手の中にあった読む気にもならない厚さの本を取り上げる。批難の声は追ってこない。
「何のために読んでたんだ?」
これで表情を隠すことはできないだろう。
「飛ぶのが二回目だから、三回目もあるかも」
「それで?」
「仕組みみたいなことが分かれば、飛ばされても戻ってこれる、かも?」
「どこに」
「ここのつもりだけど……っわ!」
「つもりって何だ?」
肝が冷えたような、ひどく冷静な気持ちでライナスは見下ろしている。力はいらない。大きな体躯を傾ければ、それだけでの体は倒れてしまうし、弱い。それに反して黒い瞳は怯むことはない。いや、戸惑ってはいたのかゴクとツバを飲み込む音を響かせてから、口を開く。
「私がいなくなったらここで待っててくれるの?」
「はあ?……そりゃ待つに決まってんだろ」
「戦争が終わって、もとの世界に帰れても?」
「あのなぁ。死人に帰る場所があると思ってんのか?」
「あ、そうか……」
そうだ、そうだね。と何度も小さく反芻するは目に見えて分かるほど安堵している。ふやけたような微笑があれば、心が凪いだ。
「いやちょっと……?」
「なんだよ」
「顔が近い」
「最後まではしねぇって。兄貴が寝てるしな」
とはいえ、自分が部屋に戻ったときの音で目は覚めているはずだ。何事もないからこそたぬき寝入りをしているのだろう。兄なりの――おそらく気遣いだ。ただ騒ぐことがあれば、音もなく近づいて後ろから殴られるにちがいない。身内のそういうのは金を積まれても見たくも聞きたくもないものの一つだ。
それを念頭に置いて、ライナスはただのあいさつのつもりでへ口付ける。時々、彼女はこうした行為にひどく恥じらいを感じてみせる。その先の事をしているくせに、おかしな話だ。と、やはりというか顔を赤らめるを薄目に見ながら思うのだ。
別に大したことなどしていない。あいさつよりは激しいかもしれないが、事に及ぶには物足りない。そうして抑えている。動きもそうない。ベッドは軋まないし、も声を抑えることに注力している。
「ら、いなす……そろそろ」
「もうちょい」
「いや、うしろ」
がば!と音がなる勢いで体を離してを見れば、彼女の視線はたしかに自分の後方に向けられている。振り返ることができないライナスは、の顔を見る。彼女の黒い瞳の中に馴染んだシルエットが映りこんでいた。
「我慢できないなら最初からの部屋に行ってろ」
「お、おう」
冷ややかな声が後ろから聞こえるが、振り返ったところでどうしようもない。そのままの状態を維持していると、兄のロイドは嘆息して自身のベッドへ戻っていく。が少し抜けた声で「おやすみー」と言えば、やや遅れて返事があった。兄はどうしようもなくには甘い。
「来る?」
ひそりとが分かりきったことを聞いてくる。側に放っていたコートをつかめばそれが返事であった。