途惑いはやがて


Linus @ FEHeroes
Published 2020/10/09
title by まばたき

 ガバリと勢いよく体を起こしたライナスは小さな声で悪態をついた。他でもない彼が一番驚いている。悪い夢だ。と頭を振ったかと思うとうなだれる。叶うならば大声を出したい。それほど納得できない内容だった。
 夢は願望だ。昔、だれかに言われたことがある。笑い飛ばしたあの時のように今も夢は夢で、なんの意味も持たないと信じているのに、なぜか笑い飛ばせない。その疑問がまた苛立ちの一因になっている。

「ライナス」
「うお!起きてたのか、兄貴」
「吠えるなら外に行けよ」

 唐突に声をかけられたかと思うと、そう言い渡されてぐうの音もでない。見透かされているのがおもしろくない。そうやって心を乱されなければ、寝直せた気がするが完全に冴えてしまった。「分かってる」とごちながらベッドから起き上がっても、兄は壁を向いたままでこちらを見ることもしない。たしかに起こしてしまったのは悪かったが――。

「ほんとに吠えるなよ」
「吠えねぇよ」

 実の弟に対してなんて言い草なんだ。そう文句を言ってもきっと鼻で笑われるのだろう。鼻で一笑されるのを背に、ライナスはやりきれない思いで部屋を出るしかなかった。



 意地でも寝直せば良かった。そう思っても向かい側からやって来る相手を見止めて、踵を返すことは出来ない。動揺をさとられたくはない、彼なりの意地なのか。もちろんそれは彼だけのものであるから、相手はのんきにあいさつをしてくる。明るい時間帯で、人がいる場所なら気づかないふりもできたのだろうか。

「おう」

 手を振ってきたに応えてやると、どちらともなく歩みが緩んで止まる。相変わらずの小ささに首が痛い。
 そもそもなぜこんな夜中に会ってしまうのか。もやもやとした形の定まらない輪郭の不鮮明なそれが知りたい。知れば少しは落ち着くんじゃないのか。そう思ってわざわざ出たというのに――。一番避けたく思った相手に会うなど、運が悪いとしか言いようがない。そして、そうしたものが全て顔に出ていた。
 は困ったように笑う。別に彼女とてたまたまに過ぎず、意図などしていなかっただろう。

「また明日ね。おやすみー」

 そそくさと、まるで逃げたげに言い捨てて横を通り過ぎる。普段の自分の行動がそのまま返ってきているに過ぎない。それなのに、どういうわけか自分が受ける側になると面白くはない。
 だから“つい”なのだ。簡単につかめる腕の細さにいつも怯む。じぃと黒い瞳が大きく開かれて、彼女の自由にならない腕と自分の顔を交互に窺っていた。

「嫌じゃなきゃ付き合えよ」

 なんてことない言葉だ。訓練によく誘っていることを思えば意外性もない。ありふれている。それだというのに、の面食らったような顔を見るとぞわりとしてしまうのだ。不鮮明なくせに確かな存在感で不快だ。そしてまたそれが顔に出る。悪い循環だった。

「ごめん、ライナス」

 そういえば何かを誘って断られるのは初めてだったかもしれない。

「ちがうちがう。付き合うけどそんなに強くつかむなってこと。痛い」

 言われてハッと我に返るのだ。顔が熱い。慌てて手を放せば、つかんでいた部分を彼女はさすっている。「悪い」そういう言葉は素直に出た。

「ロイドさんに追い出された悲しみを癒やすのを手伝いましょう」

 はケラケラと笑いながら歩き始める。見透かされたように――それが割と当たるのが悔しいのだが――余裕の表れにいらとザワつくのも事実だ。それでも倣ってついていく。

「あれ?いつもなら怒るのに。マジで傷ついてる?」

 何が楽しいのか、その表情はいきいきとしている。またざわついた。

「……ちょっと夢見が悪くてな」
「わかるわかる。深読みしちゃうんだよね」

 わたしも、と続けるはべらべらと喋り続ける。歯が抜け落ちるだの、崖から落ちるだの、親しい人間が目の前で死ぬだの多岐に渡っていて。しかしそれらは自分にも覚えがあった。特別というわけではない。決して。

「イイトコだけもらえば?」

 そんなことを気にしていたらキリがない。全くそのとおりだ。分かりきっている。そして言うのは簡単だとも。
 開けていた場所を抜け、昼でも人通りがまばらな西の方は夜ならなおさらだ。都合がいいと思ったわけではない。単純に彼女ならどう解釈してみせるのか知りたかった。

 自分よりもゆったりとしたリズムを刻む足音が聞こえなくなって、はぴたりと足を止める。振り返ると少し離れたところにライナスがいる。なぜ立ち止まるのか、「どうしたの」と慌てて踵を返す。駆け寄る自分を見止めてなおライナスに動く様子はない。「ねぇ」と少し語気を強めてようやく互いを意識しあえて、目が合う。まずい。



 ライナスの体は大きい。腕も太い。ぬ、と音もなくその腕がのびてくれば驚いても無理はない。だが、構えもしない。いうなればそれが何をしようというのか見定めている。そして与える印象からは随分とかけ離れた優しさに、身を任せてしまっている。名前を呼べば彼は止まったのだろうが、触れてくる彼の意志への惜しさを感じてしまった。

 の黒い瞳がじぃと動揺も見せずに自分を見据えていた。ざわざわと胸の奥が騒いでいる。何をやってんだ、と引き返すことも出来た。距離が離れたことに気付いて戻ってきたの腰を抱いて、抵抗がないのをいいことにそのまま抱き上げる。唇が意図して触れ合う寸前、掠ったような気がする。気のせい、として済ませられるほどに微かなものだというのに、呼び水さながらに心奥の何かを揺さぶっていた。
 気圧されて後ろにのけぞるなら後追いするつもりはなかった。それをバカ正直に全部受け入れるのだ、は。しかと抱きついて。

「こーいう夢でのお前のイイトコって何だ?」
「ライナスの夢なんだから自分で解釈しなよ」
「ちなみに正夢になった」
「……そう、なんだ」

 むむ、と眉根を寄せては悩んで見せる。下手なことは言えない、とでも思っているのだろう。適当にいつもの感じてからかえばいいのだ。それをバカ真面目に考えるのが面白く、ライナスの口角がゆるくつり上がる。彼女に対する情としては珍しく穏やかなものになっていた。だからというわけでもない。けれども手持ち無沙汰だと、理由としては軽すぎるそれをもってして、また唇を合わせる。頭の中で悩むなら、話さないのなら、必要ないだろう――と。
 最後までしたいわけではない。それでもはじめたあとの反応がもやもやとしたものを輪郭づけていく。それが何であるか、知りたいのだ。彼女でなければそうならない。だから続けてしまっている。
 
「なぁ」
「待った。ライナス。待って」
「……なんだよ」

 期待を寄せているのに中断させられたライナスは、少し機嫌が悪い。合わせて濃くなる何かを知り得そうな気がしている。知りたい。と、の制止に応えつつも先を望んで「はやくしろ」と急かす。信用がないのか、夜風に冷えた手が口を塞いできた。

「あのさ、ライナスはいつも私から目をそらすじゃない?」

 が問うてくるが、口を塞がれているライナスはこくりとだけ頷く。誤魔化しても仕方がない。

「明日、私から目をそらさないでいられる?」

 気の迷いにならない?と付け加えるは困ったように笑っている。それもそうだ。それまでの態度と一変している今に、どこに、信用の余地があるのか。強引に、自分本位に行動を起こしているこの状況に、が嫌がりもせずに応えてくることが答だと自惚れているのを自覚してしまう。

 夢が悪かったのか。
 人気のない夜が悪かったのか。
 自分のことを理解できないのが悪かったのか。
 滑稽なのか無様なのか――彼女にはどう映っているのだろうか。



 声がくぐもっていた。少し掠れてもいる。謝ればよいのかも分からない。自分の中でようやく答えを見いだせた気もするのだが、適当な言葉が頭に浮かばない。

「実を言うとすごく期待してるから、こわい」
「……分かった」

 昂っていた情の熱が引いていく。かといって冷めきったわけでもない。
 ただ、今はダメなのだ。何を言っても。届かない。響かない。ゆっくりと力を抜いて、を下ろして無くなる重さとあたたかさは、あっさりとしている。

「遅くに悪かったな」

 少しバツが悪い。目を合わせない、と言われたばかりだが今は少し状況が違う。冷静になればなるほど、自分のしでかしたことの意味を直視できない。ただ恥ずかしいだけであっても、が待ったをかけたのは正しかったのかもしれない。

「送る」

 明日がある。終わりでない自覚があるぶん、ライナスの口調は随分と穏やかであったし、の手を引く確かな変化があった。


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