君のずるい搦め手
ざわざわとそれぞれの時間を楽しむ人間でごった返す食堂は少し懐かしい。どこも同じような雰囲気になるのだな、とクロードは思いながら歩き回る。が、暇を持て余す自分がひどくここには不釣り合いな気もした。
彼女の何を気に入ってしまったのか、正直分からない。勝手に自分と同じ“異物”だとでも思っていたのかもしれない。ようやく見つけた彼女はこんなにも親しげに、誰かと談笑しているというのに。
「」
「あららクロード。めずらしい。酔ってる?」
不躾なのは分かっていた。
彼女は今、自分がここで作り出した世界に浸っている。そこに自分はまだ馴染めてはいない。切り裂いて、割入る。空いていた隣に腰掛けても、はイヤな顔一つしない。
「さっき飲み比べで負けたんだ」
「わたしの口直し用の水でよければどうぞ?」
前後不覚にはなっていない。を見つけたのがいい証拠だ。それでも酒は都合がいい。多少の気軽さを容認せざるを得ない状況を与える。「ありがとう」と手渡される半ば減った水を受け取り、飲み干す。喉を鳴らすほどの量はない。
ちら、との周りを見る。彼女が――いや彼女らの興じごとを中断させている。乱入した自覚はあって、視線が刺さる。けれども特に追い立てられることはない。追加用なのか水差し自体を目前に置かれる。たったそれだけで自分がここに来る前の状況に難なく戻っていた。
す、と手が出ていた。の手札の右端を指差すと、一瞬面食らっていたようだが彼女は参加を許可するかのように体を近づける。一緒にカードを見ているだけだが、椅子に座っているといつもより顔の距離が近い。
「どれ?」
「俺が選んでいいのか?」
「いいよ」
きっと“なぜ?”と彼女とゲームに興じていた彼らは思うだろう。酔っぱらいの乱入のほうが可愛いもので、大して自分が酔っ払っていないことなどわかっているのだ。彼女もおそらくわかっている。
先程指さしたカードともう一枚を選ぶが、が異を唱えることはない。指定のカードを場へ捨てて、新しいカードを受け取る。わかりやすく彼女の口角がつりあがって、きっと相手たちにも丸わかりだろう。
「はは。にカードゲームは向いてないな」
「いいのよ。カードの交換だけで決まるんだから。小難しい戦略はいらないでしょ?」
見せつけるようにテーブルへカードを置くは、弾んだ声で「エースのスリーカード」と宣言する。すると大柄な男が分かりやすく悪態をつく。それと同時に彼の前には、酒が入っていたであろう空の容器が置かれた。
「めんどくせぇなぁ」
「文句言わない」
持ち手のあるそれを片手で……四つ。簡単に持って男はその場を離れる。敗者の罰ゲームは酒のおかわりを持ってくることらしい。悪いことをしたかもしれない。
「じゃあ。勝ち逃げしておこうか」
「ええ? 連勝狙おう。じゃなく?」
「こういうのは勝ってる時に抜けるのがいいんだよ」
行こう。と承諾を待たずに手を取る。もちろん小さな抵抗はあって然るべきだろう。あわてた声に、少しだけ待つ。
「私のお酒、頼んでいい?」
「ああ。埋め合わせを忘れるなよ」
「おてやわらか――わっあ、じゃね」
当たり前のやり取りのそれが面白くない。自分はそこに部分としても存在してない。割り込む余地への面倒さが上回るから、彼女と自分の仲を作りだすことを選ぶ。
多少強引に引っ張ってしまった。気の逸りが歩みを大きくしていた。それでも手を振りほどくことがなければ、歩調を合わせるに身勝手な期待を抱いてしまう。
食堂を出て、最初の角を曲がる。そこでようやくクロードは足を止めた。
誰もいない。だから我慢がきかない。腰を引き寄せて、漏れ出かけた自分の名前の欠片に噛みついて飲み下す。驚きに見開かれる黒曜のような瞳に、冷静さを欠いた不格好な自分が映っていた。薄くなっていくそこに、翠玉だけが異様に存在を主張して居残っている。消えることはない。
ぎゅう、と肩を服越しに掴まれる感覚がある。爪すら届かないそれが、拒絶か催促なのか。それすら推し量れない関係なのだとクロードは気付く。いや、知っていたが分かりやすく突きつけられていた。
惜しさがしつこくの柔い唇を食んでしまう。薄く開かれているのは優しさなのか、彼女の素朴な残酷さなのか。それでもようやく離せるほどに区切りをつける。と、彼女は困ったような、それでいて悪い気はしていない、何とも分かりかねる表情だった。まだ理解しきれていない。
そんな自分も、事を起こした自分もひどく格好が悪くてならない。そう自覚すると彼女の瞳に映り込む自分がますます滑稽に見えてしまう。
息を呑んだ。切り替えるために。
なのに彼女はどこ吹く風で、右側に結わえている一束の髪を指に絡め始める。
「いつも思うけどクロードのこれ、可愛いね」
「……そりゃどーも」
気が抜ける。が、悪くない。今までと何ら変わりないそれが、自分の一方的な行いを否定していない。そう思えた。
「風にでも当たる?」
「二人きりになるけど」
「どうかなぁ。結構イチャイチャしてる人たちがいると思うよ」
指折りに数えるは、覚えがあるのだろうか。一、ニ、三組までは思い当たるらしい。それならそれで構わない。ゆっくりと話ができるかは、先客がどんな雰囲気を醸しだしているかによるとして――邪魔だというなら、二人で揃って別の場所を探せばいい。夜は長いのだから。
「お手をどうぞ。お嬢さん」
「クロードさぁ、人たらしっていわれない?」
恭しく差し出した手に、躊躇いながら重ねてくる。彼女の手は本当に得物など持てるのかと疑うほどに小さく柔らかい。とは言っても、女性の手などおいそれと握ったことはない。
「俺としては先生のほうがその言葉に適ってると思うけど」
「へ〜。じゃあ今度たらしてもらいに行こ」
「おっと、異性のほうの先生には行かないでくれよ。惚れたらシャレにならない」
「なんで?」
「そりゃ〜さっきのアレは……そういうヤツだろ?」
「十代の欲が暴走したのかと思った」
「お望みなら暴走させましょうか? お嬢さん」
「じょ冗談だよ、冗談」
そう言って少し離れたそうにした手をクロードは逃さない。いたずらっぽく、しかしそれは彼の常の笑みの一つでもあって、よく輝く翠玉をきれいに細めた。
にはその意図が分からない。
「もう少しやりようがあったとは思うんだが……」
自身の行動を省みているのか、苦く笑う彼は「格好悪いだろ?」となんとも返答しづらいそれを求めてくる。何が適しているのかを考えあぐねるをよそにクロードは続ける。
「格好悪くなるくらいにはあんたに執心なんだ」
「見る目がない」
「かもな。なんたってあんたはまるで俺のことなんて眼中にない」
クロードは自分の見立てに間違いはないと信じている。先のキスにしたって大した反応がないのがいい証拠だ。嫌われていないのを是とするのか、そんな気すら起きない自分への無関心さを嘆くのか、彼にだって分からない。お世辞の一つでも彼女が言うならまた違ったかもしれないが、は困ったように笑う。図星なのだ。
「だから少しばかり目に入れてもらおうと思う」
「?」
開けた場所に出て、あたりを見渡す。の言うとおり、そこはもう懇ろな関係にある男女、あるいは夫婦が何組かいた。
「いたたまれない……」
「大丈夫さ。あそこらへんにしよう」
「慣れてるね〜」
「ガルグ=マクにも年頃の男女が寝食を共にして生活をしてるんだ。そういう場所には自ずと出来るものさ」
アオハルだ〜と、クロードには聞き慣れない言葉を発するは珍しくない。また別の機会にその疑問を晴らすとして、ズンズンと手を引いて歩く。人目をはばかるような場所を選んだのにはもちろん下心がある。
「さて、しっかり俺を見てもらいますか」
石造りのベンチに促されるままに座るは、少し遅れて座るクロードを見やる。
「壁際に座らせて逃げ道塞ぐとか慣れすぎてない?」
「心外だな。女性は安全な奥に座るもんだろ?」
そう言って小さく笑いながら顔が近づくのだから、本当に彼は食えない。
「でも、逃さないのは正解」
笑みを浮かべている一方で、瞳が笑ってはいない。普段、が接するクロードという男は食えない性格をしてはいるが、力で無理にねじ伏せることはしない。どちらかといえば――水面下ではどうかは別としても――穏やかなタイプに類する人間だ。仲間という関係性がある故の優しさなのかは分からない。今の彼は違った意味でオトコであった。ついでに言葉通り逃げることを良しとはしないだろう。
背中に固い感触がある。壁は壁としての役割を果たしている。
「ここでそういうのは……雰囲気にのまれたも同然だと思うけど」
「結構なことじゃないか。きっかけが無いと物事は動き始めない。使えるならなんでもいいさ」
思わず出したの手が、そうしたきっかけを狙う唇を寸で止める。クロードがその制止に動じることはない。予想どおりと言わんばかりに眦を下げて、その掌に唇を寄せる。
「ちゃんとあんたの心に残るといいんだが」
ウィンクなどを決め込んだところで見せる余裕は、吹けば飛ぶほどに薄っぺらい。待ち遠しさを感じながら触れるなら、理性などというものもまた早々に吹き飛んでいた。
唇なら愛情
掌なら懇願
2021/07/06