「私ね、なんて言うか自慢にもならないけど生まれてこの方じっと異性に見つめられたことがないの」
頬杖をつくがため息混じりにぼやいたのはおやつ時の時間だった。コーヒーにしようか、馴染みのあるお茶にしようか、それとも紅茶にしようか、と悩むのはひとときの贅沢な楽しみであるのに、その余裕が彼女にはない。というか、既にもう紅茶だと決められているし――もちろん紅茶は嫌いでないけれど――とかく彼女が言いたいのは先程口述した通りの事だ。
それは、この執務室の主に対しても、そしての目の前で紅茶を差し出してきたとある英雄に対しての言葉でもあった。前者に至っては「僕、忙しいんだよね」と一蹴する始末で、どうやらこの問題は自身が自力で立ち向かわなければならないらしい。
「ここのこと知りたいならシャロンに聞きなよ」
紅茶に罪はなく、とても美味しい。目前に座る先日召喚されたばかりの英雄へはぶっきらぼうに言葉を投げるものの、彼の淹れてくれた紅茶は随分と美味しく、思わず言葉にしてしまうほどだった。だからか、目の前の英雄は気を悪くする事はない。
「おおよそは聞いたさ。俺はいろんな人間と話すのが好きでね」
そこでなぜ自分が選ばれてしまったのか、理解に難くは「社交的だねー」としか返せない。もちろん嫌いになるほど彼のことを知っているわけではないから、嫌いというわけではないのだが。不躾な視線が居心地悪いのだ。
ちょうどよく、彼の資料が手元にはあった。
「面接するよー。クロード=フォン=リーガンくん?」
「クロードで構わない」
「レスター諸侯同盟の盟主、リーガン公の跡取り。乗馬が趣味で、弓の名手」
「ん? そこに書いてあるのか?」
「そう。召喚されるとその英雄の情報が簡単にね。
あとはエクラくんが書き足すの。お、学生さんかー。級長なんだすごい。きんじか?」
「ヒルシュクラッセ。レスター地方の守護聖獣が金の鹿なんもんでね」
言いづらい。とは思って拙く口にして反芻する。資料から目を外せばクロードのエメラルド色の瞳は細められていて、そのあとすっかり見えなくなる。にっこり、彼は笑っていた。
「興味ある?」
「興味というか学生さん羨ましいな、と」
戻りたいとは思わないが、そういえば自分は高校生というものになる前に飛ばされたことを思い出す。さぞ、自分の世界ではありがちに“受験を苦に家出か?”などと書き立てられたことだろう。“割と楽しく異世界で生きてます”なんて手紙をしたためられたら、心残りはなくなるかもしれない。机上の望みだとは解っていて、笑えた。
「あんたのはないのか?」
「あるけどここまで細かくないと思うよ。イレギュラーなもんで」
「いれぎゅらー?」
「居るべき人間じゃないってこと。功績もなにもない只の非力な一般人がうっかり手違いで召喚されたの」
実に的を射ている自己紹介だとは思っているし、それ以外にどう説明をして良いのか分からず、自分の資料をクロードへ手渡す。彼には見なれない単語が並んでいるのか、顎に手をあてながら確認するように小さく呟いている。なるほど、彼の探求心は旺盛のようだ。自分なら確実に目がすべる。
「へぇ?毛色が違って見えるのは2つも世界を渡っているからか」
「毛色?」
「ここでいう【烈火】の世界の人間とよくつるんじゃいるが、浮いてる。染まりきれていない」
「どうせぼっちだよ」
は笑って言う。彼の観察眼は間違っていない。
「戦争はしないよって宣言する国から来た私は異質かもね」
「なに。この世界に召喚された者は皆が等しく異質だ。もちろん俺も」
す、と差し出された手は異質者同士仲良くしましょう、というところだろうか。躊躇う理由はない。と握ればぎゅうと返る。柔らかい掌は弓の名手に相応しくあった。
「よし。これで完了だ」
「……なにが?」
「俺とは仲間だ」
「いや、まぁ。うん」
「エクラ。英雄同士の絆を深めるには苦楽を共にすることだよな?」
「え、ちょ、聞いてる?」
「夕食時まで遠乗りにいこうじゃないか」
などと、呑気に思っていると何を思ったのかクロードが柔和な態度を崩す。手を振りほどこうにも大きな手はびくともしない。頼みの綱はエクラだが、振り向くことも手を止めることすらもしない。
「語らわないことにはあんたを知ることができない」
「や、だから時と場合を――」
「さぁいくぞ」
ぐいと引っ張られて思わず立ち上がってしまう。そうなってしまえばもうクロードの思う通りにしかならなくて、彼の機嫌はすこぶる良い。エクラが何も言わないと分かっているのか、ただ部屋を出るときに「次はお前とな」なんて女たらしのようなセリフを吐くのだが、エクラは了解とでもいうように手を軽く上げて答えるのだ。
「わー!ばかー!エクラが今クロードとデートしたら良いじゃんかー!!!」
「お、デートか。それも良いな」
やっぱりエクラがを助けることなどしなかったし、さっさと行ってくれといわんばかりに手で払って追い出すのだ。「良いなー。僕も休憩したいよ」なんてぼやいたのを誰も知らない。ぐいぐいと引っ張られて厩舎へ連れていかれるにそんな余裕などなかった。
「ほんとに遠乗りに付き合わされた……」
城外を出た街のはずれに少し小高い場所がある。遠乗りといっても時間が時間であるから結局は近場に落ち着くしかない。
「後ろでいいのに」
「後ろだとバランスを崩したときに助けられないだろ?」
「一人で乗れるように練習しとこう」
つれないな、とクロードのからからと笑う声が頭上でする。歩兵のには馬に乗る機会がなく、乗馬ができない。馬に乗る必要がある場合は、大抵相乗りであるがそれもだいぶ遠い過去のことで、最近はとんとない。この後ろから落ちないように支えられるというのは、やはり気を許した相手に願いたいところだ。
「さっきの話なんだが、ここでの戦いが終わったら俺のとこに来るのはどうだ?」
「えー、いーよ。ここで終わるならしばらく剣とか握りたくない」
「学べば活かせると思うんだけどな。毛色が違うのが混じると良い刺激になる」
彼はなにか勘違いをしている。突出した才能などなにもない。参謀になれるような頭もない自分に何を見出だしたというのか。
「それに学生が羨ましいのならうちの学園に入れば良い。推薦する」
「じゃあ……うん。そっちの世界に行くような事があったら頼る」
自分の世界に帰れるとするならと考えたとき、あまりにも時間が経過していて、自分はもう元の世界で暮らせないような気がしている。それを彼が察知しているのかは分からない。そして、彼の世界に行けるかも分からない。夢物語の一端としてそこに乗るのも悪くない。だから「言質をとったぞ」というクロードの言葉は意外なもの、というより理解するのに時間が要ってこんなことになる。
「わ、ぁ!ちょっと!」
「唾つけとかないと他のクラスに取られるかもしれないだろ?あんたは絶対俺のクラスのヒルシュクラッセだ」
顎を掴まれたかと思うと、顔をぐいと振り向かせられる。バランスの悪い馬上でが落馬しないで済んだのは、先程の言葉通りに彼の腕が後ろからそれを防いだからだ。危ない、と焦る彼女をよそにやはりクロードは飄々としたもので、軽快なリップ音を頬へ弾けさせる。あまりに唐突で、挨拶のような行為に慣れたはずが気恥ずかしい。その頬を押さえたところで、誤魔化せないほど顔が赤らんでいるのは間違いない。尚悪いことに馬上であるが故、距離が近いままなのだ。
「はウブなんだな」
「バカにしてない?」
若さゆえの図々しさなのか、本来の性格なのか、貴族の遊びなのか。いまいちにはクロードという男の人物像が見えてこない。「そろそろ夕食時かな?」と馬首を拠城の方へ返す彼のことなど
「さぁ、城にもどってデートの続きだ」
解るはずもなかった。