置き去りの時間
はため息をついて、服の裾を雑巾のごとく絞っていた。色が濃くなった服からはびっくりするほど多量の水が落ちていく。小さな水溜まりができる勢いだったが、あいにくもうそこかしこに大きなものがあった。
服の水を申し訳程度にではあるが、外で絞りおえたは背にしていた小屋の中に入る。ドアを閉めると、雨の音が少し遠のいて安堵する。暗がりに比例した静けさで、人の気配はないようだった。
雨雲の黒さからまだ当分はやまないのだろう。かみなりの音も聞こえるなら雨足が弱まるまでは、ここで雨宿りをするのが賢明なはずだ。と、は雨に濡れて張り付く服を脱ぎ始める。誰もいないのだ、問題はない。手持ちの手拭いでどれだけ拭けるかはわからないが、濡れたままよりはずっといい。
そのはずだった。
すっ飛んだ声が出たのは、肌に張り付いた服を脱ぐのに難儀していた時のことだ。少しもたついて、頭から服が抜けなかった。そんな折、むんずと胸をつかまれて頭がパニックになる。声を出すよりも、多小の痛みを我慢して無理にぬく。浅黒い腕が体に巻き付いていた。
背中が少しあたたかい。
「あったかいだろ」
「……ゼロ?」
返事の代わりというように、ゼロはのうなじへ当たり前のように吸い付いて、跡を残す。「また……」とよく見える場所に跡をつけられてうんざりとする。大きく嘆息したところで、彼に響くことはない。
「先にいた?」
「ああ」
「性格わる……」
「それはホメ言葉だな」
思いきり手の甲をつねって、一時の難を逃れる。濡れた服で裸体を隠しながら部屋の奥で、体を拭こうと足を踏み出したが、腹部に圧迫感があった。
「そんな姿で煽っといて、それはヒドイんじゃないか?」
なに言ってんだコイツ?と半ば本気で蔑みを含めて凝視してしまう。この小屋にほんとうに誰もいなかったことを確認しなかったのは、自分の怠慢だと認めてもいい。それでも、こうして濡れた体を拭こうとしたことは、自分の落ち度なのだろうか?ぐるぐると、なにが悪かったのかを考えあぐねる。どう考えても、訳の分からない理由で事に及ぼうとするゼロが悪いようにしか思えない。
「その汚いものを見るような目がたまらない」
「うわぁ……」
彼の言葉に嘘はないようで、お尻に固いなにかが当たるのだから、こちらこそ堪ったものではない。
「せっかくイイトコロがあるんだ。しけこまないのは勿体ない」
「私はそう思わ──胸をもまない!」
「……じゃあアンタに欲情した。ヤリたい」
「じゃあってなに。“じゃあ”って」
「スキだ」
「針を飲んでしまえ」
確かに伝わる。体を重ねたいというのは。もちろん、応える義理はないのだが。
「ほら。ちょっと離れて。体を拭きた……あっ」
「お安いご用だ。こういう仕事もガキの頃に何度かやったんだ。任せな」
「い、いいいいらない!」
「遠慮するなよ」
唐突に手の中にあった手拭いをぐいと引っ張られるから、奪われた。取り返そうにも、彼もやや本気らしく、の体を離そうとはしない。声だっていつも以上にねっとりとしているのだ。間違いない。
「ガキの頃から相手の体の世話なんてやってる。慣れてるから安心しな」
そんなことを言って、ゼロは手拭い越しにの体を拭くという名目で──あくまで当人のみだが、まさぐるのだ。「慣れてるって何が?」との疑問もすぐにわかる。世間一般の“世話”から外れた手つきなのは、そういうことだ。
ゼロの過去を詳しく知るわけではない。は自身の過去を訊かれるなら答えるが、相手の過去を積極的に知ろうとは思わなかった。特に人格を形成するような幼年の頃は。楽しい話ばかりでないのは当たり前で、やぶ蛇は避けたい。相手の心の傷を抉るのも本意ではない。だから彼が時折、冗談めいて話す過去しか知らないのだ。
レオンに仕えるまでは、危ない仕事が多かったこと、ロクでもない奴に目を潰されたこと、その程度なのだ。
ただ、自分の想像するには容易でない世界にいた、というのは分かる。大人の今ならなおのこと、どういったものであるかも何となく分かるというものだ。
観念しろと言わんばかりに、最後の砦でもあった手に持っていた濡れた服も奪われたかと思えば、そこいらに放り投げられる。水気を含んでいて、ベチャリと音を立てるが、ゼロは意にも介さない。「ほら」と促されても、体が強ばる。腰に回されていた手に力が込もって抱き寄せられる。前から抱きすくめられたまま、背中をとりあえず拭かれるのだが──。
「人に尽くされるのは気持ちイイだろ?もっと力を抜いたらどうだ?」
「……内容による」
「へぇ……」
含んだ物言いにはハッとしたが遅かった。
つ、と背骨を指先が撫でてぞわりと肌が粟立つ。思わずゼロの服を掴むが、くすぐったさを兼ね備えた感覚が抜けない。必死に声を出すまいと奥歯を噛み締めて耐える。
「そ、ういうことじゃ、な……いっ」
ようやく吐き出したの拒否も、彼には無意味だ。
「座りな。足も拭いてヤるから」
「ゼロ」
ゼロは自身の膝をついて、の腕を引く。やや無理に促すのだが、普段とは違う圧に抵抗できなかった。
はぎょっとして足を閉じようとした。足の間にはゼロの顔がある。男に足を拭かれる、などという異様な施しに羞恥心を煽られて、目を閉じた矢先の出来事だった。
「な、ななにして……、ぅ!」
「敏感な場所は優しくしないとな」
「そ、こは頼んでな……ぃっ、ん!!」
内股をべろりと舐められる。もともとなにも頼んではいないし、一方的に施されているだけだが、彼の親切心によるのなら、とはおめでたい感覚だった。
後悔するも遅い。薄い皮膚を吸われると、下半身が否が応にもびりびりと痺れる。同時に自身の秘部が濡れるのが分かるのだから忌々しい。ゼロの髪をわし掴んで、どうにか逃げようと試みる。が、図ったように軽く噛まれて腰がくだけた。
「貴族ってのは頭がイカれててな。俺みたいな孤児を捕まえちゃあ、寝所でおもちゃ扱いしてたよ」
ゼロが何を言い出すのか、なぜ今そんなことを話始めるのか、にはよく分からない。傷とは呼べない噛んだ部分を吸われて、今度はくっきりとした痕が残る。濡れて難しいはずなのに、普段とかわらない調子で下着をむしりとられて、それどころではない。「待って」と慌てた声も届かないらしく、ゼロはの足を大きく開かせると、躊躇いもなく淫部へ顔を埋める。そして爛れたような赤い膣孔にぬるりと舌を挿し入れるのだ。逃げようにも足を強い力で固定されていて、蹴ることもできない。後ろに片肘をついて、どうにかゼロの顔を押しやる。だがそれも瞬きほどの間でしかない。
「やめっ……ぁあ!……そ、こは……ァ!!」
まだ埋もれている核をゼロは皮ごと口に含む。そして舌で器用に割り、小さな、しかし充血しつつある核を舌先で撫で始めた。
頭のなかを鋭い刺激が走り、腰が浮く。魚のようにビクと跳ねそうになるの体を押さえ込んで尚、執拗に、ゼロは貪るように淫核を舐めては吸い上げる。
「っ……あ、……ンッ!…や……ぁ」
もどかしくてならない。は自身の体を抱き締める。その時だ。トロリとの秘部から白濁した淫液が流れ出たのは。ゼロはその液体を舌ですくいとり、ようやく体を起こした。
ペロリと唇をなめ、の顔を覗きこむ。波がまだ残るのか少しまぶたが震えている。
「」
「……ん、」
返事のようなものはあったが、夢現なのかもしれない。弛緩している手を取り、ゼロは服越しに自身の怒張した雄に触れさせる。ぴくりとの手が動いて動揺していたが、構わず撫でさせる。遠慮がちでありながら、しかし彼女が自身の意思でそれに手を沿わせているのを確認して、ゼロは手を離し、ズボンを寛ぎ、しかりと固くなっているものを取り出す。そしてゼロはまたの手を取り、直に触らせるのだ。
「アンタのせいだ」
丸みを帯びた先端に指を絡めさせると、先走る劣情の液体がの指先を汚していい気分になる。ぬるりと絡んで、生き物を扱うように先端を弄られると背筋がぞくりとするのだ。早くよがらせたくて堪らない。だからそうすると決めた。
優しい手つきで雄を撫でる手を、自身の手に絡める。ぬちゃりと掌が互いに吸い付くように重なる。寸分の隙間もない。空いた手で熟れたように赤い膣孔に亀頭の先を宛がった。が唇を軽く噛んでいる。刺激に耐えるつもりなのかとも思えたが、先が埋まると、の口が呆気なく小さく開く。何かを言っているように見えたが聞こえない。ただそうであっただけで、彼女の意思はなかったかもしれない。
雁首だけの注挿を繰り返し、ゼロは焦らす。床に押し付けた手は、握り返してはこない。うめくような、こらえるような、あえぎ声にとどめているが、それがまた欲情を掻き立てる。唐突に最奥まで貫けば、抑えようのない嬌声があがった。
「あ、あっ……んッ!……はぁ……ッ、」
合図のようだった。一度発してしまったからか、たがが外れたかのように、ゼロの動きに合わせて濡れた声を響かせる。鼻が当たりそうなくらいに間近で、その様を見下ろすのは実に気分が良い。
「んぅむ……ッ!んん、ん、ぅ……」
ゆっくりと口を塞いで、所在無げな舌を吸う。恥骨を当てたまま揺さぶると、良い具合に彼女の充血しきった花芯を押しつぶすのか、濃い悦楽にの目尻にうっすらと涙が浮かんでいた。
「あぁ!も…!…む、りっ……ゼ、ロ……んぁ!」
情交のなかで、それは珍しい哀願の言葉ではなかった。昔も今もよく聞いている。慣れているはずなのだ。それだというのに──の手が白くなるほど、ゼロは力を込めていた。
自由な手が同じ側にあったゼロの腕に絡む。それに気付いて力を緩める。反応があった。
心がバラバラだ。毒づいている一方でくすぐったくある。メチャクチャに喘がせてやろうと思う一方で、少し優しくしてやりたいとも思う。望みを一蹴して歪む顔が見たい一方で、叶えてやって恍惚とする顔を見てやりたくもある。どれもこれも内在するたしかな欲で、とっちらかってまとまらない。
「くそっ……!」
意識とは無関係に波が近づいていた。うねる膣壁を抉っているのは自分だというのに、両刃よろしく返ってくる。奥が不意打ちのように不規則に収縮する。気を張らないと、すぐに射精してもおかしくないほど、それはすぐそこまできていた。
反応のあった手と絡んでくる腕をいなして、ゼロはの下腹部に手を添える。そして、やや強く押して圧迫した。内部から突き上げている感覚が掌にかすかに伝わる。
「あ、あ……!そこ、だめ……だ、ひあッ!あアっ──!」
中にある凸凹とした部分を、固い先が引っ掻くと同時に外側から押さえつけながら体を揺さぶると、電流のように痺れがの中を駆ける。自身の体内で起きている感覚に翻弄されて、心の準備など追い付かないままには達してしまった。そして、ゼロは彼女がまぶたを震わせ、中をきつく絞める、自身が果てさせてやった事実を実感するだけで後を追ってしまったのだ。もっと蹂躙できていたのに、ゼロとしても想定外だ。けれども吐精を途中で止めることはできない。いっそ孕んでしまえ、と思いつく限りの彼女の顔が歪んでしまうようなことを考えて、ゼロはやりきれない思いに区切りをつけた。
「はぁ、はぁ……ぁ……ん」
ずるりと陰茎を引き抜かれて、はゆっくりとまぶたを上げる。ふるふると痙攣しているようで少し景色がちらついている。この気怠さが堪らない。一時であれ、すべてがどうでもよくなる。どうにもならないことで悩む自分が解放されて、心が軽くなる。不思議と体を重ねることに罪悪感は湧かないのだ。自分でも図太いのか、そうでないのか分からなくなるが、手放したいとは思わない手段だった。
「ゼロ。なんでそんなに、……」
だから、やさぐれた態度をとられてしまうと、戸惑ってしまう。気持ちのあり方はどうであれ、この行為は互いに利点があって──そうして為った関係なのだ。
「なんでもない」
そしてその一言で遮断される希薄な関係でもある。ぎくりと体が強ばるが、それを壊したのは他ならぬゼロ自身で、緩く口元を綻ばせる。
「気のせいだろ」
誰に言っているのか。言い聞かせていたのか。何も受け付けない声音が、から言葉を奪った。